関税自主権の回復(中国)
関税自主権の回復(中国)とは、19世紀以来の不平等条約体制の下で失われていた中国の関税を自国の判断で決定する権利が、20世紀前半に段階的に取り戻されていく過程を指す。列強による関税支配を打破し、国家財政と経済主権を回復しようとする中国民族運動の重要な目標であり、ワシントン体制と南京国民政府期の対外関係を理解するうえで欠かせないテーマである。
不平等条約と関税自主権喪失の背景
中国が関税自主権を失ったのは、19世紀のアヘン戦争以降に結ばれた一連の不平等条約によるものである。清朝は南京条約などで輸入関税率を低率で固定され、変更には諸列強の同意を必要とする仕組みに拘束された。さらに外国人が上層部を占める税関組織が整えられ、中国政府は名目上の主権を保ちながらも、実際には関税政策を自由に運用できない半植民地的な状態に置かれた。
- 1842年 南京条約により低率の固定関税と外国管理の税関制度が導入される。
- 19世紀後半 追加条約によって低関税と関税協定関係が強化され、財政主権が制約される。
列強による関税支配と中国経済
本来、関税収入は近代国家の重要な財源であるが、中国ではその多くが賠償金支払いの担保とされ、列強側の利益に組み込まれていった。低い関税率のもとで、中国市場には諸列強の工業製品が大量に流入し、新興の中国工業は激しい競争にさらされた。こうした構造的な不利は、国家財政の脆弱さと産業育成の遅れを招き、20世紀初頭には対外的不平等を是正しようとする民族主義的世論を高めていくことになる。
民族運動と関税自主権要求の高まり
辛亥革命後、中華民国政府は条約改正と関税自主権回復を外交の重要課題として掲げたが、内戦と軍閥割拠により交渉力は弱かった。とくにパリ講和会議での山東問題処理をきっかけに起こった五四運動は、対外不平等条約の撤廃と関税自主権の回復を求める大衆運動として全国に広がった。この運動以降、関税自主権回復は対外要求の中心に位置づけられ、政府だけでなく学生・商人・知識人など広範な層がその実現を訴えるようになった。
ワシントン会議と関税問題の再編
第1次世界大戦後、列強間の利害調整を目的として開かれたワシントン会議では、中国問題が主要議題の1つとなった。ここで締結された九カ国条約は、中国の主権と領土保全を尊重することをうたい、関税問題についても将来の自主権回復に向けた協議を行うことを約束した。その結果、1920年代前半にかけて関税特別会議が開催され、中国側は従来より高い税率や付加税を一定程度認められたが、最終的な決定権はなお列強側が握り、完全な自主権回復には達しなかった。
南京国民政府と実質的な関税自主権の獲得
転機となったのは、北伐を経て国民政府の中国統一が進み、1927年に南京に統一政府が樹立されたことである。南京国民政府は税関組織の掌握と関税徴収の一元化を進め、1928年以降、アメリカやイギリス、日本などとの個別協定によって従来の制限条項を改訂し、より高い関税率を設定する権利を認めさせていった。1930年前後には中国側が自主的に定めた関税法が実施され、形式的には条約上の制約が残りつつも、実際には中国政府が主導して関税政策を運営する体制が成立したと評価される。
関税自主権回復の意義
南京国民政府期の関税引き上げは、中央政府の財政基盤を強化し、鉄道建設や軍備、工業化のための資金を確保するうえで大きな役割を果たした。また、一定の保護関税は国内紡績業や軽工業を育成しようとする政策とも結びつき、対外依存度の高い経済構造を緩和しようとする試みでもあった。他方で、日本の侵略の本格化や世界恐慌の影響により、こうした政策が十分な成果を上げる前に中国は再び戦乱に巻き込まれていくが、関税自主権の回復は、不平等条約体制から脱却し近代主権国家として再編される長期的過程の中で、重要な一里塚となったのである。