遣唐使|唐への使者派遣,犬上御田鍬,薬師恵日

遣唐使

7世紀、618年、唐が中国を統一したが、東アジアに広大な領地を治め、律令を中心とする国家体制を用いた。西アジアとの交流も盛んとなり、長安は世界の中心都市として国際的な文化が花開いた。日本は遣唐使と呼ばれる遣使を派遣した。630年の犬上御田鍬から始まり、894年の菅原道真の建議により停止されるまで10数回に及んだ。

唐は当時世界の最先端ともいえ、広大な領地と西アジアとの交流から文化が発展した。東アジアの多くの国は唐の冊封体制の中に入り、唐の後ろ盾を得て国を統治していた。遣唐使は630年から始まるが、672年の壬申の乱の後、一時中絶していたものの、701年の大宝律令制定を契機に遣唐使が復活した。唐が誇る文化、宗教、学問を吸収する目的があった。

遣唐使

遣唐使は、大使・副使位か、留学生や僧からなり、多いときには500人を超える人々が4隻の船にのり、東シナ海を渡った。当時の造船技術は未熟で遭難することも多く苦難の旅路となった。遣唐使は約20回任命され、16回実施された。

新羅の躍進

遣唐使は、とくに新羅との関係が緊迫したころ、頻繁に派遣された。そのころは北路がとられていたが、676年に新羅が半島を統一したが、日本が新羅を属国扱いをしたことで両国の関係は悪化する。このころから南路がとられるようになった。

  • 北路:壱岐・対馬から朝鮮半島西岸を北上し、黄海から山東半島に上陸
  • 南路:九州を南下して西南諸島を経由するか、あるいは九州から東シナ海を横断して、揚子江流域に上陸。

遣唐使の代表的な留学生

代表的な遣唐使は、阿倍仲麻呂・吉備真備・玄助らである。平安時代に入ってからは、最澄空海・円仁・円珍らが唐に入って仏教を学んだ。阿倍仲麻呂や藤原清河は帰国することができないまま玄宗皇帝の寵をうけて高官にのぼり、結局、唐で死去した。

鑑真

鑑真は唐出身の高僧であるが、遣唐使に随行して日本に来、日本の仏教文化や制度に多くの影響を与えた。困難な渡航で失明をしたと言われている。

第一回目の遣唐使

630年、大仁位の犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)と薬師恵日(くすしえにち)を使節とする第1回目の遣唐使を派遣した。

犬上御田鍬

犬上御田鍬は、614年に遣隋使に任命され、遣唐使も引き続き任命された。恵日は、百済を経てわが国に渡来した高句麗人徳来の子孫で、中国に渡って医学を専攻して奥義をきわめ、623年帰国していた。隋から唐への王朝交替を目の当たりにした体験をふまえ、唐は法式の備わり定まった偉大な国であるから、すぐさま国交を開き、使者を遣わすべきである、と建言していた。

第一回目の遣唐使のきっかけ

唐への遣使へのきっかけは、3月に来朝した高句麗大使の宴子抜(えんしばつ)と百済大使の恩率素子(おんそちそし)らの報告であった。報告の内容は、高句麗、百済、新羅は、618年の唐の建国以来、毎年、使者を唐に派遣し、624年には3国そろって唐から称号を授けられたということ。百済・新羅の領土紛争に対しては、唐が新羅支援の姿勢を鮮明にしはじめたことによる。

第一回目の遣唐使の国内事情

当時、日本では、百済・新羅の領土紛争に対して新百済派、親新羅派、親唐派の三つに分かれていた。親百済派は朝鮮半島南部の加羅地方(任那)を百済の領有に任せようというもの、親新羅派は、加羅地方と百済との関係をたち切り、新羅の領土として承認しようというもの、親唐派は、新羅を後援する唐との外交を重視する親唐派という。

二回目以降の遣唐使

一回目は百済に配慮した遣唐使であったが、2回目以降は、唐・新羅の国家意志を尊重したかたちで唐への使いが送られた。

遣唐使表

  • 630-632 北路? 犬上御田鍬 旻
  • 653-654 北路? 吉士長丹 道昭・定恵(鎌足の子)
  • 653(遭難)南島路 高田根麻呂
  • 654-655 北路 高向玄理
  • 659-661 北路 坂合部石布
  • 665-667 北路 守大石
  • 669? 北路 河内鯨
  • 702-704、707 南島路 粟田真人 道慈
  • 717-718 南島路? 多治比県守 吉備真備・玄防・阿倍仲麻呂
  • 733-734、736 多治比広成
  • 746(中止) 石上乙麻呂
  • 752-753、754 南島路 藤原清河 鑑真
  • 759-761 渤海路 高元度
  • 761(中止)    仲石伴
  • 762(中止)    中臣鷹主
  • 777-778 南路  佐伯今毛人
  • 779-781 南路  布勢清直
  • 804-805、806 南路 藤原葛野麻呂 橘逸勢・最澄・空海
  • 838-839、840 南路 藤原常嗣 小野篁(随行せず)・円仁
  • 894(中止)   菅原道真(遣唐使停止)
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