連合国
近代史において連合国とは、共通の敵国に対抗するために結成された国家の連合を指す語である。とくに第一次世界大戦と第二次世界大戦において、イギリスやフランスなどの主要国が中心となって形成した陣営を指す場合が多い。第一次世界大戦では連合国は主にイギリス、フランス、ロシア、日本、イタリア、アメリカ合衆国などから構成され、ドイツやオーストリア=ハンガリーなどの「同盟国」と対立した。第二次世界大戦では、ナチス・ドイツや日本、イタリアが率いる枢軸国に対抗した国家群が連合国と呼ばれる。
語義と用法
連合国という語は、国際政治において一時的または長期的に軍事・外交上の協力関係を結んだ国家を総称する便利な表現である。対義的な概念としては、敵対陣営に属する国家群をまとめて呼ぶ「同盟国」や「枢軸国」などがあるが、これらは特定の戦争に固有の名称として定着している場合が多い。第一次世界大戦では、既存の三国協商を基盤としつつ、参戦国が増えるなかで、広く協力関係にある側を連合国と呼ぶようになった。
第一次世界大戦における連合国の構成
第一次世界大戦における連合国は、当初はイギリス・フランス・ロシアの三国協商を中核としていたが、戦争の拡大とともに参加国が増加した。連合側には、早い時期から参戦していた日本やセルビア、後に参戦したイタリア、ルーマニア、ギリシア、さらに1917年に参戦したアメリカ合衆国などが加わり、世界規模の戦争体制が整えられた。このように連合国は、必ずしも単一の条約に基づく固定的な軍事同盟ではなく、共通の敵対国に対する利害の一致から生じた広い協力関係であった。
対立陣営との関係
第一次世界大戦で連合国が対峙したのは、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリアなどからなる同盟国側である。これらの国々は同盟・再保障条約などによって結び付けられ、ヨーロッパの勢力均衡体制が崩れるなかで戦争へと発展した。連合国側は、この同盟国側の拡張を抑え、ヨーロッパおよび世界の秩序を維持・再編することを目指して戦ったと理解される。ここには、帝国主義時代の植民地や市場をめぐる対立も色濃く反映していた。
戦争目的と理念
第一次世界大戦期の連合国の戦争目的は一様ではなかった。フランスはアルザス=ロレーヌの回復を目標とし、イギリスは海上覇権と植民地帝国の維持を重視した。ロシアはバルカン半島への影響力を拡大しようとし、日本は日英同盟を背景にドイツの極東拠点を奪取する機会を得た。戦争の長期化に伴い、アメリカのウィルソン大統領が掲げた「民族自決」や「公開外交」などの理念が連合国側の正当性として強調されるようになり、戦争は単なる勢力争いから「世界を民主化する戦い」としても語られた。
ロシア革命と連合国
1917年のロシア革命は連合国に大きな影響を与えた。ロシア帝国の崩壊とボリシェヴィキ政権の成立によって、東部戦線は離脱し、ブレスト=リトフスク条約によってロシアはドイツと単独講和した。これにより連合国側は一時的に不利な状況に置かれたが、同年にアメリカが本格的に参戦したことで、西部戦線での兵力と物資の優位を確保し、最終的な勝利へとつながった。この経過は、第一次世界大戦が国内革命と国際戦争の複雑な結び付きの上に成り立っていたことを示している。
講和と戦後秩序
連合国は1918年の休戦後、パリ講和会議を主導し、ヴェルサイユ条約など一連の講和条約によって新たな国際秩序を構想した。ここで連合国は「勝利国」として、ドイツやオーストリアなど敗戦国に賠償、領土割譲、軍備制限などの条件を課した。同時に、集団安全保障を掲げる国際連盟が設立され、戦争を防ぐ国際機構が初めて制度化された。しかし、賠償問題や領土再編の不満は残り、のちの第二次世界大戦の遠因ともなった。
第二次世界大戦における連合国
第二次世界大戦でも、ナチス・ドイツ、イタリア、日本などの枢軸国に対抗した陣営が連合国と呼ばれた。構成国には、イギリス、フランス、ソ連、アメリカ合衆国、中国などが含まれ、戦争末期には多くの国が参加して「連合国宣言」に署名した。この第二次世界大戦期の連合国は、戦後の国際連合創設に直接つながり、国際連合安全保障理事会の常任理事国は、その中核となった勝利国を反映している。
歴史用語としての位置づけ
連合国という語は、単に戦勝国を指すだけでなく、近代国際関係史において国家間の協力と対立がどのように構築され、どのような理念によって正当化されてきたかを示す重要なキーワードである。第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての連合国の経験は、勢力均衡から集団安全保障への移行、帝国主義体制の崩壊、民族自決や国際協調の広がりなど、多くの歴史的変化を理解するうえで欠かせない手掛かりとなっている。