英ソ通商協定|ボリシェヴィキ政権承認への一歩

英ソ通商協定

英ソ通商協定は、第一次世界大戦とロシア革命後に断絶していたイギリスとソヴィエト・ロシアとのあいだで、経済関係の回復を目的として1921年に結ばれた通商協定である。正式な国交樹立に先立つ事実上の承認措置として位置づけられ、ボリシェヴィキ政権に対する孤立政策が転換し始めた象徴的出来事であった。同じ年に導入された新経済政策ネップ)とも密接に関連し、ソヴィエト国家が対外貿易と資本導入を通じて経済再建を図ろうとした最初期の試みとみなされる。

成立の背景

ロシアでは1917年の十月革命とその後の内戦を経て、ボリシェヴィキ政権が支配を確立したが、その過程で採用された戦時共産主義は、強制的な穀物徴発や私企業の全面的国有化を特徴とし、深刻な経済混乱と生産低下を招いた。1920年前後には飢饉とインフレが進行し、ソヴィエト政権は国内経済の立て直しと外貨・工業製品の確保を急務としていた。他方、イギリスをはじめとする西欧諸国は、内戦期には干渉戦争や対ソ経済封鎖を行っていたが、戦後不況のなかで旧ロシア市場の回復を求める商業界・労働界の要求が高まり、ボリシェヴィキ政権との実利的な取引に関心を示し始めた。

交渉の開始と締結までの経過

イギリス政府は、対ソ強硬論と通商再開を求める現実路線とのあいだで揺れ動きつつも、1920年ごろからソヴィエト側との予備交渉を認めるようになった。ソヴィエト政府は、内戦を指導した赤軍を縮小しつつ、経済再建に優先順位を移し、ロンドンに代表団を派遣して通商協定の締結を模索した。これらの交渉の結果、1921年3月にロンドンで英ソ通商協定が調印され、両国は正式な外交関係に至らないまま、限定的な経済関係の再開に合意したのである。

協定の主な内容

英ソ通商協定の内容は、政治的承認よりも経済的実利に重点がおかれていた。協定は、相互に通商代表部を設置し、両国商人の活動を認めること、輸出入の障害となっていた封鎖や没収措置を段階的に緩和することなどを定めた。また、関税や輸送条件について最恵国待遇に近い優遇を与える条項も盛り込まれ、イギリス商人がソヴィエト市場で一定の安定した活動を行える枠組みが作られた。他方、旧ロシア帝国時代の対外債務や国有化された企業の補償問題は複雑であり、詳細な解決は将来の協議に委ねられた点も、この協定の特徴である。

宣伝活動規制と国際革命運動

英ソ通商協定には、経済条項と並んで政治的性格を帯びた取り決めも含まれていた。イギリス側は、自国領内や植民地における革命的宣伝活動への懸念を強く抱いており、ソヴィエト政府に対して、イギリスの安全を損なうような宣伝や扇動を抑制するよう求めた。ソヴィエト側は、世界革命の拠点として設立された共産主義インターナショナル、すなわちコミンテルン第三インターナショナル)との関係を維持しつつも、形式的にはイギリスの要求を受け入れる姿勢を示した。この点は、国際革命運動と国家としての外交・通商政策のあいだでソヴィエト政権が取った折衷的対応を示す具体例とみなされる。

新経済政策との関連

1921年、ソヴィエト政府は第10回党大会で新経済政策を採択し、従来の戦時共産主義から部分的市場経済への転換を図った。農民には余剰穀物の市場販売が認められ、限定的ながら私企業も許容されるようになり、そのなかで外国との貿易や技術導入は経済再建の重要な手段と位置づけられた。したがって英ソ通商協定は、ネップ期ソヴィエト国家が西欧との関係を修復しつつ、資本主義諸国との経済的結びつきを利用しようとした政策の一環と理解できる。同時期に展開されたソヴィエト=ポーランド戦争後の国際環境の変化も、協定締結を後押しした要因であった。

イギリス国内の反応と政治的論争

英ソ通商協定は、イギリス国内では一様に歓迎されたわけではない。産業界や労働組合の多くは、新市場の獲得や雇用拡大の観点から協定を支持したが、保守派や反共勢力は、ボリシェヴィキ政権を「反文明的」な体制とみなし、通商関係の再開は共産主義運動を正当化するものだと批判した。議会でも、ソヴィエト政府が国内外で革命運動を支援し続けるかぎり、通商協定は国益に反するとする論調が繰り返された。このような対立は、その後の英ソ関係の不安定さを予告するものであった。

ソヴィエト側にとっての意義

ソヴィエト政権にとって英ソ通商協定は、単なる経済上の利得を超えた象徴的意義を持っていた。最大の資本主義国家の一つであるイギリスが通商協定を結んだことは、国際社会におけるボリシェヴィキ政権の存立を黙認し始めた証左とみなされたのである。実際、この協定を足掛かりとして、ソヴィエトは他の西欧諸国との経済協定や借款交渉を進め、自らの外交地位を徐々に高めていった。同時に、協定は内戦終結後の経済再建期において、工業機械・消費財・技術の輸入経路を確保する役割も果たした。

その後の英ソ関係と協定の位置づけ

1920年代前半の英ソ関係は、協調と対立が交錯する不安定なものであった。1924年には、イギリス労働党政権のもとでソヴィエト連邦が正式に承認され、通商協定はより包括的な条約へと発展するかに見えたが、その後も宣伝活動や安全保障をめぐる摩擦は続き、一時的に外交関係が断絶する局面も生じた。それでも、1921年の英ソ通商協定が第一次世界大戦後の孤立状態を打破し、資本主義諸国とソヴィエト国家とのあいだに現実的な利害調整の枠組みを開いたことは否定できない。この協定は、革命後のソヴィエト外交史と西欧諸国の対ソ政策を理解するうえで重要な転換点として評価されている。