物理蒸着
物理蒸着(PVD:Physical Vapor Deposition)は、固体の材料を真空中で蒸発させたり、はじき飛ばしたりして気相へ移し、基板の表面に原子・分子単位で堆積させて薄膜をつくる技術の総称である。化学反応で膜を合成する化学気相成長(CVD)と対になる概念で、加熱やイオン衝撃といった物理的な過程によって材料を移動させる点に特徴がある。代表的な方式は真空蒸着、スパッタリング、イオンプレーティングの3つ。半導体の配線膜からレンズの反射防止膜、切削工具の硬質コーティングまで、膜厚数nmから数μmの領域で幅広く使われている。
成り立ちと技術の発展
起源は19世紀半ばまでさかのぼる。1852年、英国のW.R.グローブがグロー放電中の陰極から金属が飛び散り、周囲に付着する現象を報告した。これが現在のスパッタリングにつながる最初の観察とされている。1857年にはM.ファラデーが不活性ガス中で金属線に大電流を流して爆発させ、金属の薄膜を得ている。とはいえ、当時は十分な真空を得る手段がなく、工業技術として定着するのは1930年代以降、油拡散ポンプなどの真空ポンプが普及してからである。眼鏡や光学機器への反射防止膜の蒸着がまず実用化され、1964年には米国のD.M.マトックスがイオンプレーティングを発表した。1970年代に入るとマグネトロン方式の登場でスパッタリングの成膜速度が大幅に向上し、1980年代には窒化チタン膜を施した工具が量産ラインに広がっていった。
なぜ高真空が必要になるのか
蒸発した原子が途中でガス分子とぶつかれば、まっすぐ基板に届かず、膜に不純物も取り込まれる。そこで目安となるのが、気体分子が衝突せずに進める平均距離である平均自由行程 λ で、次の式で表される。
λ = kBT / (√2 π d2 p)
ここで kB はボルツマン定数、T は絶対温度、d は分子の直径、p は圧力を指す。室温の空気では、1Paでおよそ7mmにすぎないが、10-3Paまで下げると約7mに達する。蒸発源と基板の距離は一般に30〜100cm程度なので、この圧力域なら蒸発粒子はほとんど衝突せずに基板へ到達できる。真空蒸着の装置が10-3〜10-5Paという高真空で運転されるのは、この理由による。
主要3方式の比較
同じ物理蒸着でも、粒子を飛ばす仕組みによって基板に届くエネルギーが大きく異なり、それが膜の緻密さや密着性を左右する。おおよその特性を次の表に示す。
| 項目 | 真空蒸着 | スパッタリング | イオンプレーティング |
|---|---|---|---|
| 気化の原理 | 加熱による蒸発 | Arイオン衝撃によるはじき出し | 蒸発粒子をプラズマ中でイオン化 |
| 動作圧力の目安 | 10-3〜10-5Pa | 0.1〜1Pa | 0.1〜数Pa |
| 粒子エネルギー | 約0.1〜0.2eV | 数〜数十eV | 数十〜数百eV |
| 膜の密着性 | 比較的低い | 中〜高 | 高い |
| 主な用途 | 光学膜、包装フィルムのアルミ蒸着 | 半導体配線、透明導電膜、記録媒体 | 工具・金型の硬質膜 |
真空蒸着の加熱方式
融点の低いアルミニウムなどは、タングステンやモリブデン製のボートに載せて通電する抵抗加熱で十分に蒸発させられる。これに対し、融点が3000℃を超えるタングステンやタンタル、あるいはSiO2などの酸化物には、電子ビームを材料に直接照射して局所的に溶かす方式が向いている。ルツボ自体は水冷されるため、ルツボ材の混入を抑えやすい。
マグネトロンスパッタリング
ターゲットの裏側に磁石を配置し、磁界で電子を閉じ込めてプラズマ密度を高める方式で、現在のスパッタ装置の主流となっている。平板ターゲットでは侵食がリング状に偏り、使用効率は20〜30%程度にとどまる。円筒形のロータリーターゲットにすると70%を超える例もあり、大面積ガラスへの成膜ラインではこちらが選ばれることが多い。窒素や酸素を導入すれば、金属ターゲットから窒化物・酸化物の膜を得る反応性スパッタリングも可能になる。
CVDとの違い、現場での使い分け
両者を分ける最大の要素は処理温度にある。超硬合金向けの熱CVDは900〜1050℃前後で行われるのに対し、物理蒸着はおおむね200〜500℃で済む。焼戻し温度が550℃付近の高速度工具鋼や、寸法精度が厳しい金型にCVDをかけると、硬さ低下や変形を招きかねない。そのため、刃先を鋭く保ちたいエンドミルやドリルにはPVD、膜厚10μm以上のAl2O3層で耐摩耗性を稼ぎたい旋削用インサートにはCVD、という使い分けが定着している。ただしPVDは粒子が直進する性質を持つため、深い穴の内面や入り組んだ形状には膜が付きにくい。実際の装置では、ワークを自転させながら公転させる治具を使い、膜厚のばらつきを抑えている。
硬質コーティング膜の種類
工具・金型分野で使われる代表的な膜は次のとおりで、膜厚は1〜5μm程度が一般的である。
- 窒化チタン(TiN):金色の外観を持つ汎用膜。硬さは約2000HVで、酸化開始温度は500℃前後
- TiCN:炭素を加えて硬さと潤滑性を高めた膜。低速切削やタップに多い
- TiAlN/AlTiN:アルミニウムの添加で表面に酸化アルミニウム層ができ、酸化開始温度が800℃付近まで上がる。高速加工やドライ切削向き
- CrN:耐食性と靭性に優れ、樹脂成形金型やプレス金型で使われる
- ダイヤモンドライクカーボン(DLC):摩擦係数が0.1前後と低く、アルミニウム加工や自動車部品の摺動面に適する
品質管理と実務上の注意点
膜がはがれるトラブルの多くは、成膜そのものよりも前処理に原因がある。研削油や防錆油が残ったまま炉に入れると、加熱中に油分がガス化して密着不良を引き起こす。受託コーティング業者がアルカリ脱脂と超音波洗浄を必須工程にしているのはこのためで、依頼側も防錆油の種類を事前に伝えておくと手戻りが減る。価格は炉1バッチ単位で決まることが多く、小物工具なら他社品との混載で単価を下げられる。再研削した工具を剥離・再コーティングして使い回す運用も一般的で、新品購入に比べてコストを大きく抑えられる。一方で、アークイオンプレーティングでは数μm大の溶融粒子(ドロップレット)が膜に混入しやすく、面粗さを厳しく求める金型ではフィルタードアーク方式やスパッタ方式を選ぶ判断が必要になる。
膜の評価方法
密着性は、ダイヤモンド圧子に荷重をかけながら膜面を引っかくスクラッチ試験(ISO 20502)で臨界荷重を求めて評価する。膜厚は球で膜を削って断面の径を測るカロテスト(ISO 26423)が手軽で、硬さとヤング率は計装化押込み試験(ISO 14577)で測定される。膜厚が1μmを下回る場合は基板の影響が入りやすいため、押込み深さを膜厚の10%以内に抑えるのが測定上の目安となる。
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