沈殿|液中の固体が底に沈み分離する現象

沈殿

沈殿とは、溶液中で化学反応や温度・濃度の変化が起こり、溶けきれなくなった物質が固体として現れる現象、またはその固体そのものを指す。英語ではprecipitationと呼ばれ、生じた固体はprecipitateという。化学分析では目的成分を分離する手段として古くから使われてきた。工場排水から重金属を取り除く工程や、セラミックス原料・電池材料といった粉体の製造にも応用されている。容器の底にたまる様子から「沈む」の字が当てられているものの、粒子が細かければ液中に浮遊したまま、なかなか底に落ちないこともある。

溶解度積で決まる沈殿の条件

難溶性の塩がどこまで溶けるかは溶解度積Kspで表される。塩化銀を例にとると、AgCl(s) ⇄ Ag+ + Cl− の平衡に対して、Ksp = [Ag+][Cl−] ≈ 1.8 × 10−10 (mol/L)2(25℃)となる。溶液中のイオン濃度の積Qがこの値を上回ると、余剰分が固体として現れ、沈殿が生じる。逆にQ < Kspであれば、固体は溶け続ける。同じイオンを含む別の塩を加えると溶解が抑えられる共通イオン効果も、この関係式からそのまま説明できる。

粒子が生まれて育つまで

イオン積が溶解度積を超えた瞬間に固体が現れるわけではない。溶液はいったん過飽和の状態を経て、微小な核が生まれる「核生成」と、その核にイオンが積み重なる「成長」の2段階を踏む。核生成が優勢なら微細な粒子が大量にでき、成長が優勢なら少数の大きな結晶が得られる。生成直後の微粒子では、時間とともに小さいものが溶けて大きいものに取り込まれ、平均粒径が増していく。オストワルド熟成と呼ばれるこの現象を、分析化学では「熟成(エージング)」として意図的に利用している。

過飽和度と粒子径の関係

20世紀初頭にP. P. von Weimarnが示した経験則によれば、相対過飽和度 (Q − S)/S(Sは溶解度)が大きいほど粒子は細かくなる。ろ過しやすい粗い沈殿を得たい場合は、希薄な溶液を使い、試薬をゆっくり加え、70~90℃程度に加温して溶解度をわずかに上げる。こうした操作で過飽和度を低く保つのが基本となる。

沈降・析出とどう違うか

似た言葉が多いため、現場の会話でも混同されやすい。沈殿は溶けていたものが固体になる化学的な変化に重点を置いた言葉である。これに対して沈降は、すでにある固体粒子が重力で下へ移動する物理的な過程を指す。析出は溶液に限らず、合金の中に第2相が現れる場合にも使われ、アルミニウム合金のT6処理のような時効硬化を説明するときは、通常「析出」のほうを用いる。英語文献ではprecipitationが両方の意味を含むため、翻訳するときは文脈の確認が欠かせない。

化学分析での活用

目的成分を難溶性の化合物に変え、その質量を量る方法を重量分析という。硫酸イオンに塩化バリウムを加えて硫酸バリウムとして沈殿させ、ろ紙ごと800℃前後で強熱し、恒量に達したところで秤量する手順がよく知られた例である。定性分析では、陽イオンを塩酸・硫化水素・炭酸アンモニウムなどで順番に沈殿させ、第1属から第6属に分ける系統分析が教科書に載っている。今日ではICP発光分光分析などの機器分析が主流になったが、標準物質の値付けのように高い精度が必要な場面では、重量法がいまも信頼できる手法として使われている。

排水処理における水酸化物沈殿

めっき工場や電子部品工場の排水には、銅・亜鉛・ニッケルなどの重金属イオンが含まれる。これらはアルカリを加えてpHを上げると水酸化物として沈殿するため、中和凝集沈殿法が排水処理の基本工程になっている。水質汚濁防止法に基づく一律排水基準は、鉛及びその化合物を0.1 mg/L、カドミウム及びその化合物を0.03 mg/Lと定めており、処理水をこの水準以下まで下げなければならない。設計で特に注意したいのは、沈殿しやすいpHが金属ごとに異なる点である。

金属イオン 沈殿の目安pH 留意点
Fe3+ 3~4以上 低いpHで他の金属より先に沈殿する
Cr3+ 8~9 両性。六価クロムは還元してから処理する
Cu2+ 9~10 アンモニア錯体があると沈殿しにくい
Zn2+ 9~10 両性のため、pH 11程度を超えると再び溶ける
Ni2+ 10~11 他の金属より高いpHが必要

現場で起こりやすいトラブル

複数の金属が混ざった排水では、亜鉛の再溶解とニッケルの沈殿不足が同時に問題になる。そのためpH 9.5前後で折り合いをつけて運転する工場が多い。キレート剤を含む無電解めっき廃液は、通常の中和では金属が沈殿しにくい。このような廃液は別系統に分けて処理するのが実務上の定石である。生じた水酸化物は水分を多く含むので、高分子凝集剤でフロックを大きく育ててから沈降槽へ送り、フィルタープレスで脱水する。脱水後の汚泥は含水率70~80%程度でも産業廃棄物として処分費がかかるため、薬品の注入量をどこまで絞れるかが処理コストにそのまま響く。

粉体材料をつくる共沈法

複数の金属イオンを含む溶液から、それらを同時に沈殿させる手法を共沈法という。リチウムイオン電池の正極材NCM(ニッケル・コバルト・マンガン系)の前駆体は、硫酸塩の水溶液に水酸化ナトリウムとアンモニア水を加え、pH 11前後・50℃程度で連続的に反応させて、球状の複合水酸化物として得る。粒径はおおむね10 μm前後にそろえられる。撹拌速度や滞留時間がわずかに違うだけでタップ密度が変わるため、量産ラインでは反応槽の条件管理が品質を左右する。身近な工業製品では、紙やプラスチックのフィラーに使われる軽質炭酸カルシウムがある。これは石灰乳に二酸化炭素を吹き込んでつくる沈殿製品で、天然石を砕いた重質品より粒子の形と大きさをそろえやすい。

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