柿本人麻呂|百人一首にも選ばれた歌人,万葉集

柿本人麻呂

柿本人麻呂は、奈良時代に活躍した歌人である。出生は不明であるが、歌人としての才能に優れ、上代歌謡と漢詩を融合させた和歌の形式を生み出した。『万葉集』にも納められているが、身分が低く、詳しい正史としては残っていない。長歌や短歌の芸術的価値を確立させ、宮廷で詠んだ作品が残っている。

万葉歌碑(柿本人麻呂)

万葉歌碑(柿本人麻呂)

目次

正史

柿本人麻呂の歌は、第一の歌人として『万葉集』にも納められている。持統天皇・文武天皇に従い歌を詠むなど、皇族にも関わりのある身分高い立場にあった。また、平安時代の『古今和歌集』の仮名序で、紀貫之によって「正三位の柿本人麻呂は歌の聖」と記述されており、非常に知られた歌人であったことは確かである。
しかしながら、『日本書紀』、『続日本紀』には、その身分にもかかわらず、柿本人麻呂の名前が残っていない。長い間、議論が続いていたが、江戸時代の国学者、賀茂真淵は、正史に残らない正六位以下の下級官吏として生涯を終えたと推測している。

功績

柿本人麻呂は、枕詞や序詞などを完成させ、歌の世界に革新的な技法を生み出した。その功績は、藤原公任によって三十六歌仙に選ばれるほどで、藤原定家がまとめた『小倉百人一首』にも採用されており、多くの神社で奉られている。

『小倉百人一首』

『小倉百人一首』の「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」は柿本人麻呂の作として伝えられているが、その可能性は疑問詞されている。この歌の作者はわかっていない。

死去

詳細は定かではないが、石見国に左遷され、そこで生涯を終えた、と伝えられている。

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