明白な天命
明白な天命は、19世紀アメリカで広く共有されたとされる、合衆国は神意により北アメリカ大陸を支配・文明化すべきであるという観念を指す用語である。英語のmanifest destinyに対応し、1840年代に新聞編集者オサリヴァンが用いた表現に由来するとされる。この観念は、独立後のアメリカ合衆国が持った共和主義的使命感、プロテスタント的信仰、そして白人優越意識と結びつき、西部開拓やアメリカの領土拡大を正当化するイデオロギーとして機能した。
概念の成立と語源
明白な天命という表現は、1845年にジャーナリストのジョン・L・オサリヴァンが記事の中で用いたことに由来するとされる。彼は合衆国には、大陸全体に自由と民主主義の制度を広げる「manifest destiny(明白な運命)」があると論じ、領土拡大を歴史の必然かつ神意にかなうものとして描いた。この表現は同時代の人々の心情をぴたりと言い当てたため、後に歴史家が19世紀アメリカの膨張主義を説明するキーワードとして採用し、現在では当時の支配的イデオロギーを指す歴史用語として定着している。
歴史的背景
明白な天命が説得力を持った背景には、独立以降の歴史的経験があった。アメリカ独立戦争を通じて、合衆国は専制に抗する自由の共和国という自己像を築き、共和主義と民主主義を人類に先駆けて体現しているという意識を強めた。また、豊かなフロンティアと人口増加は領土拡大の圧力を生み出し、農地や資源を求める西方移動が継続的に進行していた。こうした状況下で、拡大を道徳的・宗教的に正当化する観念として明白な天命が受け入れられたのである。
アメリカの領土拡大との関係
明白な天命は具体的な領土拡大政策と密接に結びついている。19世紀前半の代表的な拡大は次のように整理できる。
- ルイジアナ買収によるミシシッピ川以西の広大な獲得
- スペインやイギリスとの交渉によるフロリダやオレゴンへの勢力拡大
- 独立したテキサス共和国の合衆国への編入(テキサス併合)
- メキシコ戦争の結果としてのカリフォルニアや南西部の獲得
とくに1840年代のテキサス併合とメキシコ戦争は、明白な天命という言葉が最も強く動員された局面であった。これらの拡大は、太平洋岸に至る「海から海へ」の大陸横断国家を現実のものとし、その後の南北戦争へと続く政治対立の舞台を形作った。
国内政治と奴隷制問題
明白な天命は国内政治、とりわけ奴隷制をめぐる対立とも深く関係していた。拡大によって新たに得られた領域を自由州とするか奴隷州とするかは、合衆国議会の勢力バランスを左右する重大問題であった。一般に、拡大を強く主張したのは南部や西部の農業利益を代表する民主党であり、彼らは明白な天命を根拠として積極的膨張を唱えた。一方、商工業と結びついたホイッグ党(アメリカ)の多くは、拡大が奴隷制問題を悪化させ、国家の安定を損なうとして慎重であった。
ジャクソニアン=デモクラシーとの関連
ジャクソニアン=デモクラシーと呼ばれる19世紀前半の民主主義的風潮も、明白な天命の思想的土壌である。白人男性普通選挙の拡大を背景に、「普通の白人農民こそ共和国の担い手である」とする観念が広まり、その生活基盤を保障するための新たな土地の獲得が求められた。インディアン強制移住政策などは、白人入植者の利益を優先しつつ、拡大を正当化する一例であり、ここにも明白な天命的発想が読み取られる。
モンロー教書・孤立主義との関係
明白な天命は対外政策の理論とも結びついていた。すでに1823年にはモンロー教書がヨーロッパ列強のアメリカ大陸への干渉を拒む原則を示し、これが後にモンロー主義として整理された。伝統的な孤立主義は、ヨーロッパ政治への不介入を掲げる一方で、西半球における合衆国の優越的地位を暗黙裡に認めており、その内側での拡大と支配を正当化する論理は、明白な天命と容易に結びついたのである。
思想的特徴と問題点
明白な天命の中心には、「合衆国の制度と文化は普遍的に優れており、それを広めることは人類の利益である」とするアメリカ例外主義の発想があった。しかし、実際にはそれはしばしば白人中心主義と結びつき、先住民の土地収奪やメキシコ系住民の支配を正当化する装置として働いた。キリスト教的使命感と人種的優越意識が重なり合うことで、侵略的な戦争や差別的政策が「文明化」の名のもとに推進された点は、後世の歴史家から厳しく批判されている。
20世紀以降の評価と影響
20世紀に入ると、歴史研究の発展により明白な天命は、19世紀アメリカの膨張主義イデオロギーを象徴する概念として再定義された。スペイン=アメリカ戦争や太平洋への進出など、後の帝国主義的拡大もまた、その延長線上に位置づけられることが多い。現代では、この観念はアメリカ外交の自己正当化傾向を理解するための鍵概念としてしばしば引用されると同時に、民主主義や自由の名のもとで行われる暴力と支配を批判的に検証するための視角としても用いられている。