市川小団次(四世)|黙阿弥と共に世話物を大成した名優

市川小団次(四世)

市川小団次(四世)(いちかわ こだんじ、文化9年〈1812年〉 – 慶応2年5月8日〈1866年6月20日〉)は、幕末の江戸歌舞伎を代表する名優の一人であり、劇作家の河竹黙阿弥との緊密な提携によって、江戸庶民の生活や裏社会を写実的に描いた「世話物」の完成に大きく寄与した人物である。上方出身でありながら江戸で空前の成功を収め、小柄な体躯を補って余りある身体能力と、創意工夫に満ちた独自の演出、そして観客を圧倒するリアルな演技によって、それまでの様式美を重視した伝統的な芸風に新たな息吹を吹き込んだ。特に「白浪物」と呼ばれる泥棒を主人公とした作品群における活躍は目覚ましく、市川小団次(四世)の存在なくしては幕末の演劇文化の隆盛は語れない。

出自と上方での修業時代

市川小団次(四世)は、伊勢国(現在の三重県)に生まれたとされるが、幼少期に大坂へ移り、振付師の市川団蔵の門下に入った。当初は市川米蔵、後に市川市蔵を名乗り、地道に修行を積んだものの、当時の上方劇壇では血筋や家格が極めて重視されており、門閥外の出身であった彼は、その才能に見合った役どころを得ることに苦労した。しかし、この時期に培われた基礎体力と、観客を喜ばせるためのどん欲な姿勢、そして後年「ケレン」として開花するアクロバティックな動きの基礎は、過酷な地方巡業や下積みの生活の中で磨かれたものである。市川小団次(四世)という名は、天保14年(1843年)に四代目として襲名したものであり、この頃から徐々にその実力が広く認められるようになった。

江戸への進出と黙阿弥との出会い

嘉永3年(1850年)、市川小団次(四世)は大きな賭けに出て江戸へ下った。当時の江戸劇壇は、七代目市川団十郎の追放などの影響で活気を欠いていたが、彼は河原崎座において圧倒的な身体能力を駆使した演技を披露し、瞬く間に江戸の観客の心を掴んだ。ここで運命的な出会いを果たしたのが、狂言作者の二代目河竹新七、後の河竹黙阿弥である。小団次の「小柄だが動きが鋭く、写実的な表現を得意とする」という特性を見抜いた黙阿弥は、彼のために数多くの新作を書き下ろした。二人の共同作業は、単なる役者と作者の関係を超え、舞台装置や技術的な演出にまで及ぶ、現代の総合芸術に近い形態へと進化していった。

「ケレン」の革新と舞台演出

市川小団次(四世)の最大の特色は、当時「ケレン」として一段低く見られていた「宙乗り」や「早替わり」、「本水(実際に水を使う演出)」などを、物語のリアリズムを高めるための高度な演出手段へと昇華させた点にある。彼は科学的な視点に近い合理性を持って舞台の仕掛けを考案し、観客に驚きを与えるだけでなく、登場人物の心理状態や窮地を視覚的に表現することに成功した。例えば、滝の中での格闘や屋根の上での立ち回りは、市川小団次(四世)の卓越した筋力とバランス感覚があって初めて成立したものであり、これらの演出は後の時代における特撮やアクション演劇の遠い先駆けとも評価できる。彼の追求した「実(じつ)」、すなわちリアリティへの執着は、それまでの定型化した日本舞踊的な所作とは対極にある、生々しい人間の姿を舞台上に現出させた。

代表作と当たり役

市川小団次(四世)と黙阿弥のコンビが生み出した作品は、今日でも伝統芸能の傑作として上演され続けている。代表的なものには、以下の作品が挙げられる。

  • 『三人吉三廓初買』(三人吉三):お嬢吉三、お坊吉三とともに、和尚吉三を演じ、その重厚な演技で作品を締めた。
  • 『鼠小紋東君新形』(鼠小豆):義賊として知られる鼠小僧を、単なるヒーローではなく葛藤する人間として描き出した。
  • 『勧善懲悪覗機関』(村井長庵):冷酷な悪人を演じ、人間の持つ業の深さを表現した。

これらの作品において、市川小団次(四世)は、社会の底辺で生きる人々や犯罪者の悲哀、あるいは刹那的な生き様を鮮烈に演じ、幕末という不穏な時代の空気を体現するアイコンとなった。

幕末の動乱と最期

市川小団次(四世)の活躍した時期は、黒船来航から明治維新へと向かう激動の江戸時代末期に重なっている。社会全体が不安と熱狂に包まれる中、彼の演じるアナーキーなヒーローたちは、現状打破を願う庶民の強い支持を集めた。しかし、過酷な舞台演じによる肉体への負担は大きく、慶応2年(1866年)、『船打込橋間白浪』の舞台を勤めている最中に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。享年55。彼の死は江戸中のファンを悲しませ、その葬儀には数え切れないほどの会葬者が詰めかけたと言われている。

後世への影響と歴史的評価

市川小団次(四世)が確立した写実的な演技様式と、黙阿弥とともに作り上げた「世話物」の形式は、その後の明治歌舞伎、さらには現代の日本の演劇や映画にも深い影響を与え続けている。彼が多用した「宙乗り」などの技法は、一時期は邪道とされた時期もあったが、三代目市川猿之助による「スーパー歌舞伎」などで再評価され、現在の文化遺産としての歌舞伎における重要なエンターテインメント要素として定着している。門閥に頼らず、自らの肉体と知略で頂点に登り詰めた市川小団次(四世)の生涯は、封建的な社会構造が崩壊していく時代の過渡期を象徴する、まさに一つのドラマであったと言える。