奴隷州|南北対立招いた奴隷制諸州

奴隷州

奴隷州とは、19世紀のアメリカ合衆国において、アフリカ系住民を中心とする奴隷制が州法により合法とされていた州を指す概念である。これらの州は主に南部に集中し、綿花・タバコなどの商品作物の大農園と結びついた奴隷制を社会と経済の基盤としていた。一方、奴隷制を禁止した「自由州」との対立は合衆国を二分する政治問題となり、最終的には南北戦争へとつながっていった。

奴隷州の定義と歴史的背景

奴隷州は、植民地時代から黒人奴隷労働に依存してきた南部の州に由来する。独立後もこれらの州は奴隷制を維持し、合衆国が西方へ領土拡大を進めるなかで、新しく編入される準州や州に奴隷制を認めるかどうかが政治対立の焦点となった。とくに上院では州ごとに議席数が等しいため、「奴隷州」と自由州の数の均衡は勢力争いの核心であり、その調整策としてミズーリ協定などの妥協が試みられた。

地理的分布と代表的な奴隷州

奴隷州は、おおまかにはアメリカ南部と呼ばれる地域に集中していた。バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナ、テキサスなどが典型であり、綿花・砂糖・米などの生産を担った。またケンタッキーやメリーランドのような「境界州」も形式上は奴隷州でありながら、経済的には北部との結びつきも強く、のちのアメリカの南北対立において複雑な立場を取った。

奴隷制と綿花プランテーション経済

奴隷州の社会構造を理解するうえで、大規模な綿花プランテーションの存在は欠かせない。綿繰り機の普及とイギリスの紡績業による需要拡大により、南部の綿花は世界市場で重要な輸出品となり、所有者は黒人奴隷を財産として売買しながら大農園を経営した。その一方で奴隷は過酷な労働と人権侵害にさらされ、この構造は工業化と賃金労働を進める北部との社会的・経済的な差異を広げていった。

自由州との政治的対立

奴隷州と自由州の対立は、連邦議会における代表配分をめぐって激しさを増した。新領土が州に昇格するたびに、そこを奴隷州とするか自由州とするかが問題となり、ミズーリ協定や1850年妥協、カンザス=ネブラスカ法などが相次いで成立した。とりわけカンザスでは住民投票をめぐって武力衝突が起こり、奴隷制拡大をめぐる対立は流血を伴う段階に達した。

州権主義と奴隷州の主張

奴隷州の政治家は、連邦憲法の解釈に関して州権主義を掲げ、奴隷制は各州が自ら決定すべき内政問題であり、連邦政府は干渉すべきでないと主張した。彼らは関税・領土問題でも南部の利益擁護を訴え、これに対抗して北部では奴隷制拡大に反対する世論が強まったため、折衷的な妥協は次第に成立しにくくなった。

南北戦争と奴隷州の消滅

1860年のリンカン当選を契機に、いくつかの奴隷州は連邦からの離脱を宣言してアメリカ連合国を組織した。合衆国政府はこれを認めず、ついに南北戦争が勃発する。戦争の過程で奴隷解放宣言が出され、さらに憲法修正第13条によって全米で奴隷制が禁止されたことで、法的には奴隷州という区分は消滅した。しかし人種差別や社会的不平等といった奴隷制の遺産は、その後も長くアメリカ社会、とりわけ南部地域に影響を与え続けた。