北部|自由と工業が発展した州

北部

北部とは、一般にアメリカ合衆国のうちニューイングランド諸州や中部大西洋岸諸州、五大湖周辺諸州などを指し、農業と奴隷制を基盤とした南部に対置される地域である。独立期から商業・工業・金融が発達し、都市化・移民受け入れが進んだ結果、自由労働を基盤とする社会が形成された。このような北部の発展は、奴隷制を維持し綿花栽培に依存した南部とのあいだに深刻な政治的・経済的対立を生み出し、最終的にはアメリカの南北対立と南北戦争へとつながっていく。

地理的範囲と歴史的背景

北部に含まれるとみなされるのは、マサチューセッツ・コネティカット・ロードアイランドなどのニューイングランド諸州、ニューヨーク・ペンシルベニア・ニュージャージーなど中部大西洋岸諸州、さらにオハイオ・インディアナ・イリノイなど五大湖周辺の自由州である。これらの地域は、独立以前から港湾都市を中心に商業活動が盛んで、早い時期から工場制機械工業が導入された。新たに編入された西方の自由州も、やがて北部陣営に組み込まれ、自由州と奴隷州の均衡は崩れ始める。こうした州の編入は、ミシシッピ以西の土地を切り拓く西漸運動やフロンティア開拓の進展と密接に関連していた。

商工業を中心とする経済構造

北部経済の最大の特徴は、農業に加えて商業・工業・金融が高い比重を占めたことである。港湾都市では対欧貿易や沿岸貿易、造船業が発展し、内陸部では綿布工場や鉄鋼業が成長した。鉄道網や運河の建設により、大西洋岸と内陸の農村や新興都市が連結され、穀物・工業製品・原料の広域的な流通が可能になった。銀行や証券市場は、こうしたインフラ整備や工場建設への投資を支える役割を果たし、資本主義的な経済構造を形成していく。やがて北部資本は、西方のカリフォルニアやテキサスへの投資に向かい、ゴールド=ラッシュに伴う鉱山開発や都市形成にも深く関与した。

社会構成・都市化と移民

北部は南部に比べ都市化が進み、ボストン・ニューヨーク・フィラデルフィアなどの大都市には多様な社会階層が存在した。商人や銀行家、工場主からなる中産・上層市民のほか、工場労働者・港湾労働者・小農民などの自由労働者が多数を占めた。特に19世紀中葉にはアイルランド系・ドイツ系を中心とする大量のヨーロッパ移民が流入し、安価な労働力として工場や鉄道建設に吸収される一方、宗教・民族の差異に起因する社会摩擦も生じた。公教育制度の整備や市民団体・教会組織の活動は、こうした多様な住民を統合し、識字率の向上や市民意識の涵養に貢献した。

奴隷制への態度と南部との対立

北部諸州は、州ごとに時期の差はあるものの、独立後比較的早い段階で奴隷制を廃止し、自由労働を前提とする社会を志向した。経済的には南部の綿花に依存しつつも、新たな領土で奴隷制を拡大することには反対する世論が強まる。奴隷制拡大をめぐる妥協が破綻すると、奴隷制の道徳的非難を唱える急進的廃止論者や、自由労働の保護を掲げる政治勢力が台頭し、やがて共和党の支持基盤となった。連邦議会では、新しい州・準州を自由州とするか奴隷州とするかをめぐり激しい対立が繰り返され、その帰結がアメリカの南北対立と南北戦争であった。さらに先住民に対しては、南部同様、土地収奪と移住政策が推し進められ、インディアン強制移住法やインディアン居留地、涙の旅路などの政策にも北部政府・資本の関与がみられた。

西部開拓・対外拡張との関わり

北部の商人や投資家は、ミシシッピ以西の土地や太平洋岸地域の開発に大きな役割を果たした。鉄道建設会社や土地投機会社は、オレゴンやカリフォルニアなどの地域への移住を促し、農業開拓と都市建設を進めた。また、テキサス併合やアメリカ=メキシコ戦争の結果獲得された広大な領土も、西漸運動と結びつきながら北部経済圏に組み込まれていった。この過程で、自由州として編入される地域が増加し、連邦内の勢力均衡は北部に有利に傾く一方、南部は政治的孤立を深めていく。

南北戦争における北部の役割

南北戦争が勃発すると、北部は合衆国政府(ユニオン)として戦争を主導し、豊富な人口と工業力、交通インフラを動員して長期戦を遂行した。鉄道と工場を背景にした兵站能力、海軍力による封鎖、金融市場からの戦費調達は、いずれも北部の構造的優位を示すものであった。当初は連邦維持が主目標であったが、戦争の進展とともに奴隷解放が掲げられ、自由労働と資本主義的秩序を全国に拡大するという方向性が明確となる。戦後の再建期には、北部主導の政策のもとで南部社会の再編が試みられ、工業化と全国市場の形成が一層進展した。このように、北部はアメリカ合衆国の政治・経済・社会の方向性を決定づける中心的地域として位置づけられるのである。

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