右衛門府|律令制下の宮門警備と京中巡察の武官

右衛門府

右衛門府とは、日本の律令制下における軍事組織および官職の一つであり、宮門の警備や京中の巡察、儀式での供奉などを司った「衛府」の一角である。もともとは単一の「衛門府」として存在していたが、平安時代初期の官制改革を経て、左衛門府と右衛門府の二局に分割された。主に大内裏の外郭に位置する諸門のうち、西側に位置する門の警備を担当し、同時に「隼人司」を管轄下に置くなど、独自の職能を有していた。中世以降は、右衛門府の役職は実務を伴わない名誉職(官途名)として武士の間で普及し、江戸時代までその名称は存続した。

沿革と成立

右衛門府の起源は、飛鳥時代から奈良時代にかけて宮廷の門を警備していた「衛門府」に遡る。大宝律令および養老律令の規定では、衛門府は一つのみであったが、大同3年(808年)に平城天皇による官制整理の一環として、それまでの「衛士府」が廃止され、衛門府に統合される形で左右に分置された。これにより、左衛門府と右衛門府が成立し、それぞれが特定の門の守護を受け持つ体制が整った。この改編は、宮廷警備の効率化と、肥大化した衛門府の組織構造を再編する目的があったとされる。

職掌と役割

右衛門府の主な任務は、大内裏の外郭門の開閉および警備である。具体的には、待賢門(たいけんもん)をはじめとする西側の諸門を管理した。また、天皇の行幸や儀式の際には路次の警衛を行い、京中(京都の市街地)の治安維持のために不審者の検挙や巡検も実施していた。さらに、特筆すべき点として、異民族や服属民としての性格を持っていた隼人を管理する「隼人司」が右衛門府の被管(下部組織)として置かれていたことが挙げられる。これにより、儀式における隼人の舞や、呪術的な警護といった特殊な職務も右衛門府の管理下で行われた。

組織構成と官位

右衛門府の組織は、他の衛府と同様に「四等官」によって構成されていた。長官である「督(かみ)」を筆頭に、次官の「佐(すけ)」、判官の「大尉・少尉(じょう)」、主典の「大志・少志(さかん)」が置かれた。それぞれの相当官位は以下の通りである。

役職名 定員 相当官位
右衛門督 1名 従四位下
右衛門佐 1名 従五位上
右衛門大尉 2名 従六位下
右衛門少尉 2名 正七位上
右衛門大志 2名 正八位下

衛士と門部

右衛門府の実働部隊は、地方から徴発された衛士(えじ)や、門部(かどべ)と呼ばれる専門の門衛によって構成されていた。衛士は各国から選抜された兵士であり、一定期間宮中に留まって警備業務に従事した。これに対し、門部は代々門の警護を世襲する伴造(とものみやつこ)の流れを汲む者たちであった。しかし、平安時代中期以降、律令体制の弛緩に伴い衛士の質が低下し、また経済的な困窮から欠員が目立つようになったため、実際の警備機能は徐々に形骸化していった。この機能低下を補うために、後に検非違使が台頭することとなる。

検非違使との関係

平安時代中期、京中の治安悪化に対応するため、天皇の別当(臨時職)として「検非違使」が設置された。当初、検非違使は衛門府の役人が兼任することが多く、特に右衛門府左衛門府の尉(じょう)が検非違使の判官を兼ねるのが通例となった。次第に警察・裁判業務の権限が検非違使庁に集中するようになると、右衛門府本来の組織としての実務権限は縮小し、儀礼的な存在へと変貌を遂げた。しかし、その官位自体は依然として貴族社会において重要な地位を占め続けた。

左衛門府との違い

右衛門府左衛門府は対になる組織であり、その基本的な職務内容は共通しているが、担当する門の場所が異なっていた。左衛門府が陽明門などの東側の門を担当したのに対し、右衛門府は待賢門などの西側の門を分担した。また、管轄する被管にも違いがあり、左衛門府は検非違使庁と密接に関わりながら、主に儀礼的な先導を重視した。一方、右衛門府は隼人司を擁していたことから、異文化的な要素や特定の呪術的儀礼を保持していた点が特徴的である。両府は近衛府や兵衛府とともに「六衛府」を形成し、宮廷の安全を二重三重に守る体制を構築していた。

中世以降の変遷

鎌倉時代に入ると、幕府が成立し武家が政治の実権を握るようになったことで、律令に基づく官制は実効性を完全に失った。しかし、右衛門府の官名は「官途名」として武士たちに好んで用いられた。特に「右衛門尉(うえもんのじょう)」という名称は、源義経が「左衛門少尉」に任じられ「判官(ほうがん)」と呼ばれたのと同様に、武士にとってのステータスシンボルとなった。戦国時代から江戸時代にかけても、多くの武士が自称、あるいは受領として右衛門府の官名を名乗り続けたが、これらは宮廷警備という本来の職掌とは無関係な、単なる名誉的な称号であった。明治維新による太政官制の廃止に伴い、官制としての右衛門府は完全に終焉を迎えた。

  • 右衛門府は、平安時代の二局化によって誕生した宮門警備の最高機関の一つである。
  • 西側の門の警備を担当し、隼人司を管轄下に置くなど独自の役割を果たした。
  • 組織は四等官制に基づき、右衛門督を頂点とする厳格な階級構造を持っていた。
  • 平安中期以降は検非違使に実務を奪われたが、武士の官途名として長くその名が残った。