六日間戦争
六日間戦争は、1967年6月5日から6月10日にかけて中東で発生した武力衝突であり、イスラエルがエジプト、シリア、ヨルダンなどと戦い、短期間で戦局を決した戦争である。戦後、占領地の拡大と難民問題、国連決議を軸とする和平枠組みが形成され、中東国際政治の構造を長期にわたり規定する転機となった。
名称と位置づけ
六日間戦争は、戦闘が実質6日間で推移したことに由来する呼称である。国際的にはSix-Day Warとも呼ばれ、日本語では第三次中東戦争として位置づけられることが多い。1956年のスエズ危機以後、停戦線を挟んだ小規模衝突が断続し、地域紛争が冷戦期の大国関与と結びつくなかで、短期決戦が地政学的な帰結をもたらした点に特徴がある。
背景
開戦前の中東では、国境線の未確定、難民の帰還問題、武装組織による越境攻撃と報復、そして水資源や交通路をめぐる対立が重層していた。エジプトではガマール・アブドゥン・ナセル政権が汎アラブ主義を掲げ、周辺諸国との連携を強めた。一方、イスラエルは抑止と先制の論理を重視し、周辺環境の悪化を安全保障上の危機として捉えた。
- エジプト軍のシナイ方面への展開と緊張の上昇
- 国連部隊の撤収要請を含む国境地帯の軍事的空白
- アカバ湾出入口の海上交通をめぐる封鎖問題
- 同盟関係の連鎖により局地衝突が全面戦争へ拡大しやすい状況
これらの要素が相互に作用し、誤認や強硬姿勢の連鎖が抑制を困難にした。とりわけ海上通航は、国家の威信と抑止に直結する争点として扱われ、危機管理の余地を狭めた。
開戦と戦闘の経過
六日間戦争の特徴は、航空戦力の初動が全体の帰趨を大きく左右した点にある。イスラエルは開戦初日に大規模な航空攻撃を実施し、相手側航空戦力の運用を著しく制約したとされる。制空権の確保は地上部隊の機動を容易にし、複数戦線での同時進攻を可能にした。
- 6/5: 開戦、航空攻撃と地上戦の同時展開
- 6/6-6/7: シナイ半島での急速な進撃、ヨルダン川西岸方面の戦闘拡大
- 6/7: エルサレム東部を含む地域での戦闘と統治の変化
- 6/9-6/10: ゴラン高原での戦闘、停戦へ
短期間での決着は、各国の軍事能力の差だけでなく、情報・指揮統制・補給、ならびに同盟国間の意思決定の速度差にも関係したと解釈される。
主要戦線
シナイ戦線
シナイ戦線では砂漠地形に適した機動戦が展開され、戦線は短期間で大きく移動した。最終的にスエズ運河付近まで戦線が及び、エジプト側は後退を余儀なくされた。ここでの帰結は、エジプト国内政治の正統性や軍改革にも波及し、その後の対外政策にも影響を与えた。
ヨルダン・西岸戦線
ヨルダンは情勢判断のなかで戦闘に巻き込まれ、ヨルダン川西岸と東エルサレムを含む地域で戦闘が起きた。戦後の統治権の変化は、パレスチナ問題の重心を再編し、住民の移動、行政制度、宗教的聖地の扱いなど、政治と社会の複合的課題を先鋭化させた。
シリア戦線
シリアとの戦線ではゴラン高原が焦点となり、砲撃や国境紛争の蓄積が背景にあった。高地の確保は軍事上の優位に直結し、停戦後も安全保障上の争点として残存した。領土と安全保障の結びつきが強い地域であるため、軍事的成果がそのまま政治的難問として固定化しやすい構造が見られた。
戦後処理と国際政治
戦闘終結後、国際社会は停戦の実効性と占領地の扱いをめぐって調整を迫られた。国際連合の枠組みでは、領土問題と相互承認、安全な国境の確立、難民問題の扱いなどが主要論点となり、後の和平交渉の基礎概念が形成された。大国は中東での影響力維持を図りつつ、偶発的な拡大戦争を避けるための危機管理にも関与し、地域紛争が国際政治の力学に組み込まれていった。
影響
六日間戦争は、占領地の拡大と境界線の変化を通じて、和平の前提条件そのものを変えた。軍事的勝敗は国内世論と政権基盤に作用し、アラブ諸国では戦略の再検討と軍備の再建が進み、イスラエルでは占領統治と安全保障の両立が長期課題となった。また、難民問題と武装闘争の位置づけが再編され、地域の政治運動や国家間関係に持続的な緊張をもたらした。1973年の中東戦争へと続く連鎖は、短期決戦の成功が恒久的安定を保証しないことを示し、中東和平が軍事・外交・社会の複合問題であることを浮き彫りにした。