会昌の廃仏
会昌の廃仏は、唐の武宗(在位840–846)が会昌年間に発した仏教抑圧政策であり、845年の大規模な寺院破却・僧尼還俗・財産没収を頂点として展開した宗教政策である。国家財政の逼迫、道教尊崇、政治統制の強化という三要因が重なり、長く蓄積してきた寺院の経済力と人的資源が国家の管理下に再編された出来事である。
背景:唐代末の宗教・財政・政治
中期唐の繁栄は玄宗期を頂点に陰りを見せ、安史の乱以後、藩鎮の割拠と歳入基盤の弱体化が進んだ。均田や租庸調の実効性は低下し、戸籍から外れた浮浪・流移民が増加した一方、寺院は免税特権や寄進によって土地・奴婢・手工業を抱え、社会的セーフティ機能を果たすと同時に、国家から独立した経済圏を形成した。宮廷内では道士・宦官・学者が入り交じる権力配置の再編が続き、宗教は統治正当化の資源となった。
推進主体:武宗と会昌年間の詔
武宗は道教を尊び、仏教を「華風を害す外来の学」とする批判的言説を采納した。会昌四年(844)から諸道の官司に寺院籍調査が命じられ、会昌五年(845)には決定的な弾圧が行われた。これにより国家は宗教勢力の再編に踏み込み、寺院の財貨と労働力を租税体系へ還流させることを企図したのである。
措置の具体:破却・還俗・没収
- 官私寺の大幅整理と違法建立の破却
- 僧尼・道士・女冠の大規模な還俗と戸籍・租税体系への編入
- 寺院の田宅・舎利・金銅仏・法器の没収または官有化
- 仏教手工業(経巻・仏具・香薬など)への統制強化
対象は一律ではなく、国家功労や救済機能を担う一部の寺観は存置された。処分は経済資源の回収と統治の可視化を優先し、宗派の教理差より制度的性格に着目して進められた。
思想と言説:外来批判と道教尊崇
弾圧の言説面では、仏教が家族倫理や労働から人員を奪うという批判が繰り返された。他方で皇帝は道教的「斎醮」や仙丹思想に傾き、政治的正統と不老長生の追求が結びついた。唐初の則天武后期に見られた仏教利用とは対照的に、武宗は道教を国家の象徴的宗教として掲げたのである。
社会経済への影響
短期的には没収財貨が朝廷の出納を支え、還俗者は戸籍復帰により賦役の担い手となった。寺院の公益機能が縮小した地域では、貧民救済・教育・医療の空白が生じ、地方社会の再編が促された。手工業・流通は官的枠組みへ取り込まれ、寺院ネットワークを介した長距離交易の一部が縮減したが、江南商業圏では柔軟な民間資本が代替的に台頭した。
宗派・地域差:禅宗と経済寺院
多寺院・荘園を抱えた大伽藍は打撃が大きかった。他方、山林に根拠を置く禅宗は制度依存度が比較的低く、師資相承の私的ネットワークを通じて命脈を保った。長安・洛陽の都城圏では象徴的破却が目立ち、江南では商業・航運と結んだ寺院が再編・転業する例も見られた。
復興と長期的帰結
武宗没後、宣宗は政策を緩和し、仏教は徐々に復興した。とはいえ寺院の経済的特権は唐末五代を通じて抑制され、宋代の宗教秩序は国家統制のもと再構築された。国家は登録・免許・度牒によって僧尼数を管理し、寺産は課税対象への編入が進む。国家と宗教の距離は、前代の弛緩から制度的管理へと移行したのである。
用語と制度:度牒・免税・寄進
僧尼資格を示す「度牒」は国家の発給文書であり、これを通じて人数と流動が把握された。寺産は寄進によって拡張し、免税特権が成長の要因となったが、会昌期の措置はこの優遇の体系に切れ目を入れた。以後、宗教組織は社倉・義倉・施薬・施粥など公益機能を強調し、社会的正当性を再定義していく。
史料・叙述の特色
主要史料は正史・編年史・碑誌・仏教側の記録に分かれ、国家財政・宗教実務・地域社会の各視点で叙述が異なる。正史は制度・詔令を軸に簡潔であり、仏教文献は被害と信仰の継続を記す。双方を併読することで、思想・経済・統治の交差点として本事件を把握できる。
関連項目への導線
唐代政治と宗教の相互作用を理解するため、王朝全体像は唐、宗教思想は仏教と道教、政治制度は科挙、時代転換の起点は安史の乱の各項を参照すると体系的理解が進む。
年表:会昌期前後の主要動向
- 840年:武宗即位。道教尊崇が強まる。
- 844年:寺院・僧尼の実数調査と整理方針の徹底。
- 845年:大規模な破却・還俗・没収を実施(会昌の廃仏の頂点)。
- 846年:武宗崩、宣宗即位。弾圧の緩和と限定的復興。