中華革命党
中華革命党は、辛亥革命後の政局で敗北した革命派の指導者孫文が、亡命先の日本で再組織した革命政党である。中国同盟会や興中会など清朝打倒を掲げた結社の系譜を引き継ぎつつ、袁世凱の独裁体制を打倒し、真の共和政の実現を目指した政治団体であり、やがて国民党へと発展していく過程に位置づけられる。
成立の背景
辛亥革命と武昌蜂起によって清朝が崩壊し、1912年に中華民国が成立すると、臨時大総統となった孫文は、各地の革命結社を統合して政党組織を整えた。これが後の国民党であり、革命派は議会政治を通じて共和制の定着を図ろうとした。しかし実権を握った袁世凱は、議会の解散や憲法の改変を進め、反対勢力の弾圧を強めたため、孫文らは武力蜂起による抵抗に踏み切る。
1913年の第一革命後に起こった反袁武装闘争は、一般に第二革命と呼ばれるが、この蜂起は失敗し、革命派の多くは日本などへ亡命した。亡命先で孫文は、組織を立て直して再び反袁闘争を継続する必要に迫られ、そのための新たな党組織として中華革命党を構想したのである。
組織と綱領
中華革命党は、1914年前後に東京で組織されたとされる。従来の中国同盟会が比較的ゆるやかな結社であったのに対し、新党は強い中央集権的性格を持ち、党首である孫文への個人的忠誠を誓うことが入党条件とされた。これは、第二革命の敗北を招いた内部不統一を克服するための措置であったと理解される。
- 党首への忠誠宣誓を義務づけた厳格な党規
- 三民主義を政治理念とし、その実現を最終目標としたこと
- 袁政権打倒と真の共和政の確立を掲げた明確な反袁路線
このように中華革命党は、思想面では従来の革命運動を継承しつつも、組織運営の面ではより指導者中心の「政党」として再編された点に特徴がある。
反袁世凱運動と武装闘争
中華革命党は、海外での宣伝活動や資金調達とあわせて、南中国を中心に武装蜂起を企図した。各地の旧同盟会系の勢力や、地方軍閥の一部と連携し、袁世凱の帝政復活の動きを阻止しようとしたのである。とくに、雲南・広西など南方の軍人勢力とは、のちに護国運動を通じて反袁で共闘することになる。
もっとも、中華革命党が直接指導した蜂起そのものは多くが局地的かつ短期で終わり、決定的な成果をあげたとは言いがたい。しかし、国内外で袁政権への反発世論を喚起し、護国戦争やその後の北洋軍閥政権の動揺に一定の影響を与えた点で、反袁運動の一翼を担ったと評価される。
国民党への改組と歴史的意義
1916年に袁世凱が死去すると、北洋軍閥同士の対立が激化し、中央政権の権威は急速に低下した。こうした状況のもとで、孫文は広東を拠点に政権樹立をめざし、党組織の再編に着手する。1919年前後には中華革命党を基礎として、名称も綱領も刷新した国民党が再建され、のちの国共対立や北伐へとつながる政党体制が整えられていく。
中華革命党は存続期間こそ長くないが、中国同盟会と国民党のあいだを結ぶ過渡的な組織として、近代中国革命運動の連続性を保証した存在である。辛亥革命後の挫折と再起、そして政党組織の近代化という経験は、この党を通じて蓄積され、以後の中国政治に大きな影響を与えたといえる。