世界分割と列強の対立|帝国主義が生んだ世界緊張

世界分割と列強の対立

世界分割と列強の対立とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧米や日本の列強諸国が世界各地を帝国主義的に分割・支配し、その利害が衝突して国際緊張が高まっていく過程を指す概念である。資本主義の成熟とともに、原料供給地と商品市場、さらには軍事基地や海上交通路を確保するために、列強は植民地や勢力圏の獲得競争を激化させ、その結果、地域紛争や同盟体制の対立を通じて第1次世界大戦へとつながっていった。

帝国主義と世界分割の進展

19世紀後半、産業革命を成し遂げたイギリスに加え、ドイツ、フランス、アメリカ、ロシア、日本などが急速に工業化を進めると、国内市場だけでは資本の投資先や商品の販売先が不足するようになった。この状況の中で、列強は海外への進出を強め、政治的・軍事的支配を伴う帝国主義政策を本格化させた。アフリカやアジア、太平洋地域は、原料供給地であると同時に、安価な労働力と新たな市場として注目され、世界地図は列強の色分けによる「世界分割」が急速に進行した。

アフリカ分割と列強の競争

特に顕著であったのが、いわゆるアフリカ分割である。1880年代以降、コンゴ流域をめぐるベルギーとフランスの対立や、エジプト・スーダンをめぐるイギリスとフランスの競争が激化し、1884~1885年にはベルリン会議が開催された。この会議では、アフリカ分割の原則や手続きが定められ、沿岸部の占有や内陸への進出に関するルールが確認されたが、同時に列強による領土拡大競争に国際的なお墨付きを与える結果ともなった。こうしてアフリカ大陸は短期間のうちに、イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、イタリアなどの支配下に組み込まれた。

アジアにおける勢力圏と「中国分割」

アジアでも、インドを支配するイギリスや、東南アジアに進出したフランス、南下政策をとるロシアなどが主導権を争った。なかでも清朝中国は、列強が港湾や鉄道敷設権、鉱山開発権などを得て勢力圏を設定する「中国分割」の対象となった。ドイツによる山東半島の租借、ロシアによる遼東半島・満州への進出、イギリスによる揚子江流域の支配などが進むと、アメリカは機会均等を唱える門戸開放政策を掲げて既得権益の維持を図った。また、日本も日清戦争を通じて台湾を獲得し、続く日露戦争に勝利して韓国への支配権や南満州における利権を拡大し、列強の一員として世界分割に参加するようになった。

同盟体制と列強対立の構図

世界分割と列強の対立が進むなかで、列強は互いの安全保障と利害調整のために同盟や協商を結び、国際政治はブロック化していった。ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアは三国同盟を結成し、これに対抗してフランス・ロシア、さらにイギリスが加わって三国協商が形成された。バルカン半島ではオスマン帝国の後退に伴い、民族運動と列強の思惑が絡み合い、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる緊張状態が続いた。モロッコをめぐるドイツとフランスの対立など、植民地問題はしばしばヨーロッパの勢力均衡を揺るがす火種となった。

国際法と平和会議の試み

列強の対立が深まる一方で、戦争を抑制し紛争を平和的に処理しようとする動きも現れた。1899年と1907年にはオランダのハーグでハーグ万国平和会議が開かれ、戦争法規を定めたハーグ陸戦条約や、国際紛争を仲裁に付す仕組みとしての常設仲裁裁判所が設置された。これらの動きは、後の国際連盟や国際連合につながる国際協調の先駆けであったが、軍拡と同盟競争が進む中では十分な抑止力とはならず、列強は依然として力による解決を志向し続けた。

植民地支配の影響と第1次世界大戦への道

列強による植民地支配は、支配地域の政治・社会・経済に深刻な影響を与えた。インフラ整備や近代的な行政制度の導入という側面もあったが、多くの場合、現地の人びとは農産物や鉱産資源の収奪、差別的な統治、文化的抑圧に直面した。こうした状況は、インドやエジプト、中国、東南アジアなどで民族運動や独立運動を刺激し、世界各地で反帝国主義のうねりが高まっていく。同時に、列強本国どうしの対立や軍拡競争は限界に達し、1914年のサラエボ事件を契機として第1次世界大戦が勃発した。つまり世界分割と列強の対立は、単なる領土争いにとどまらず、20世紀国際秩序の出発点となった大戦の重要な背景であった。

反帝国主義思想と民族自決の理念

20世紀に入ると、支配される側の知識人や指導者たちは、民族自決や人種平等の理念を掲げて列強支配に挑戦した。ウィルソンが第1次世界大戦中に提唱した「民族自決」の原則は、西欧世界の論理ではあったものの、アジアやアフリカの民族運動を強く鼓舞した。また、ヨーロッパや日本の思想界でも、帝国主義への批判が高まり、搾取的な支配を是正しようとする議論が展開された。こうした反帝国主義の思想と運動は、後の脱植民地化や国際連合による植民地廃止の流れへと受け継がれ、世界分割と列強の対立によって形づくられた世界秩序を徐々に変容させていくことになる。