三国同盟|独墺伊が結んだ軍事同盟

三国同盟

三国同盟は、ビスマルクの外交政策のもとでドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・イタリアの三国が結んだ軍事同盟である。三国同盟は1882年に最初の協定が締結され、その後たびたび更新されながら第1次世界大戦前夜のヨーロッパ国際関係を規定する重要な枠組みとなった。ビスマルクのめざしたビスマルク体制の中核として、フランスの孤立化とヨーロッパの勢力均衡維持を目的とした点に特徴がある。

成立の背景

三国同盟成立の背景には、ドイツ統一後のビスマルク外交と、バルカン半島をめぐる列強の対立があった。普仏戦争後、フランスはアルザス・ロレーヌを失い、ドイツへの復讐を目指して軍備拡張を進めていた。他方でオーストリア=ハンガリー帝国は、バルカンでの影響力をロシアと争い、イタリアは北イタリアの未回収の地や地中海での利害を抱えていた。これらの利害が交差するなかで、ドイツとオーストリア=ハンガリーの独墺同盟にイタリアが参加し、三国の防衛協定として三国同盟が成立した。

  • フランスの孤立化を狙うドイツの戦略
  • バルカン問題を抱えるオーストリア=ハンガリーとロシアの対立
  • チュニジア問題などでフランスと対立したイタリアの安全保障上の不安
  • 三帝同盟新三帝同盟の動揺による列強間協調の崩れ

条約の内容

三国同盟の条約は、主としてフランスを想定した防衛的軍事同盟であった。フランスから攻撃を受けた場合には相互に援助し合うこと、また一国が二国以上の敵対国から攻撃された場合には他の同盟国が軍事的に支援することが定められた。一方で、イタリアはイギリスとの関係や地中海情勢を考慮し、特定の条件下では中立を保つ余地も持っていた。このように三国同盟は共同防衛を掲げつつも、各国の利害に応じた柔軟な規定を含んでいた。

軍事条項と更新

三国同盟は有効期間を区切って締結され、そのたびに更新交渉が行われた。更新の過程では、バルカン半島や地中海における勢力圏をめぐって条項の修正が加えられ、特にオーストリア=ハンガリーとイタリアの利害調整が問題となった。またドイツは並行してロシアとの再保障条約を結び、ベルリン会議(1878)やベルリン条約後の複雑なバルカン情勢のなかで、フランス包囲とロシアとの関係維持を両立させようとした。

同盟の展開と崩壊

三国同盟は、第1次世界大戦直前まで形式上は維持されたが、実際には列強間の対立激化とともにその実効性を失っていった。イタリアはオーストリア=ハンガリーとの領土問題や、地中海での利害衝突から同盟内で孤立し、やがて英仏との協商関係を模索するようになる。他方で、ドイツとオーストリア=ハンガリーの結びつきは強まり、ロシアやフランス・イギリスとの間に生じた対立は、ヨーロッパを同盟ブロックに分断した。戦争勃発後、イタリアは中立を宣言し、のちに協商側へと参戦したため、名目上の三国同盟は実質的に崩壊した。

歴史的意義

三国同盟は、ビスマルクの構想したビスマルク体制の一角として、第1次世界大戦前のヨーロッパ国際秩序を規定した。同盟は当初、防衛的性格を強調しつつ、フランス孤立化という政治目的を達成するための仕組みであったが、時間の経過とともに、同盟網が固定化した陣営対立へと変質した。結果として、バルカン半島を舞台とする紛争が全欧戦争へ拡大する素地をつくり、ヨーロッパの安全保障構造に深い影響を及ぼした点で重要である。さらに三国同盟と、それに対抗する協商関係は、国際政治における同盟システムの危うさと、地域紛争が大戦へ連鎖しうることを示した歴史的事例として位置づけられる。