リン酸エステル|難燃剤や作動油に使われるリン化合物

リン酸エステル

リン酸エステルは、リン酸(H3PO4)がもつ3つのヒドロキシ基の一部または全部を、アルコールやフェノールと脱水縮合させて得られる有機リン化合物の総称である。置換数に応じてモノエステル、ジエステル、トリエステルに分かれる。工業的には難燃剤、可塑剤、難燃性作動油、抽出溶媒、界面活性剤など用途が広く、DNAやATPの骨格をつくる結合でもある。化学工業と生命科学の双方にまたがる、きわめて基本的な構造単位といえる。

分子構造と分類

中心のリン原子に4個の酸素が配位した四面体構造をとり、一般式は(RO)nPO(OH)3−n(n=1〜3)で表される。n=1、2のものは酸性のP–OH基が残るため、水への溶解性や金属表面への吸着性を示す。これに対してn=3のトリエステルは中性で、多くは油状液体か低融点の固体である。置換基Rがアルキル基ならアルキルリン酸エステル、芳香環ならアリールリン酸エステルと呼び分けるのが通例となっている。代表格のトリフェニルホスフェート(TPP)は融点約49℃の白色固体で、リン含有率はおよそ9.5質量%に達する。

工業的な合成法

トリエステルの製造では、オキシ塩化リン(POCl3)にアルコールやフェノールを反応させる方法が主流である。反応はPOCl3 + 3ROH → (RO)3PO + 3HCl で進み、副生する塩化水素を系外へ除きながら仕上げる。芳香族系では塩化マグネシウムなどのルイス酸触媒を使い、150〜200℃程度で反応させることが多い。

モノ体とジ体の混合物が目的なら、五酸化二リン(P4O10)とアルコールを直接反応させる。界面活性剤向けはこちらの製法が一般的で、仕込みのモル比を変えることでモノ/ジ比率を調整する。

樹脂用難燃剤・可塑剤としての役割

消費量が最も多いのは樹脂の難燃化用途である。燃焼時に生じたリン酸系化合物が樹脂表面で脱水炭化を促し、炭化層(チャー)をつくって熱と酸素の供給を断つ。酸素原子を含む樹脂と相性がよく、ポリカーボネート/ABSアロイ製の電子機器筐体では、UL94 V-0を取得するための定番処方となっている。臭素系難燃剤からの置き換え需要もこの分野を押し上げた。塩化ビニル樹脂では柔軟性と難燃性を同時に与えられるため、電線被覆や壁紙、コンベヤベルトに採用されてきた。

化合物名 略称 性状 主な用途
トリフェニルホスフェート TPP 白色固体(融点約49℃) PC/ABS、フェノール樹脂の難燃剤
トリクレジルホスフェート TCP 無色〜淡黄色液体 PVC可塑剤、潤滑油の耐摩耗剤
トリブチルホスフェート TBP 無色液体(沸点約289℃) 金属の溶媒抽出、消泡剤
トリス(2-エチルヘキシル)ホスフェート TEHP 無色液体 耐寒性可塑剤
レゾルシノールビス(ジフェニルホスフェート) RDP 粘稠な液体 縮合型難燃剤

単量体型から縮合型への移行

TPPは安価だが揮発しやすく、250℃を超える射出成形では金型へのガス付着や成形品表面へのブリードを招きやすい。量産ラインで金型清掃の頻度が増えると、薬剤費の差以上に稼働率が落ちる。このため現場ではRDPやビスフェノールA系(BDP)といった縮合型へ切り替える例が多い。単価はTPPより高いものの、揮発分が少なく耐熱変形温度の低下も抑えられる点が評価されている。

難燃性作動油としての利用

トリアリール系のリン酸エステルは、ISO 6743-4で「HFDR」に分類される合成系の難燃性作動油の基油となる。自然発火温度は500℃を超え、鉱物油の約350℃を大きく上回る。そのため火力発電所の蒸気タービン電気油圧制御(EHC)装置、製鉄所の連続鋳造設備、旅客機の油圧系統など、高温源の近くで油漏れが許されない設備に使われる。品質要求はISO 12922に規定されている。

ただし鉱物油からそのまま入れ替えることはできない。保全の実務では、次の点が問題になりやすい。

  • NBR(ニトリルゴム)製シールは大きく膨潤するため、フッ素ゴムやEPDMへ交換する
  • 密度が約1.1〜1.2 g/cm3と水より重く、混入水はタンク底ではなく油面側に浮く
  • 水分による加水分解で酸性のジエステルが生じ、サーボ弁の腐食やスラッジの原因となる
  • 全酸価が0.1〜0.2 mgKOH/gを超えたら、活性アルミナやイオン交換樹脂のバイパスろ過で酸分を除去する

劣化反応は(ArO)3PO + H2O → (ArO)2PO(OH) + ArOH で表され、生成した酸がさらに分解を早める自己触媒的な性格をもつ。油温を60℃以下に保ち、水分を数百ppm程度に抑えることが更油周期を延ばす近道となる。

核燃料再処理を支えるTBP

トリブチルホスフェートは溶媒抽出剤として特異な地位を占める。1950年代に確立したPUREX法では、TBPをドデカンなどで約30vol%に希釈し、硝酸溶液から6価ウランと4価プルトニウムを選択的に有機相へ移す。リン酸基の酸素が金属硝酸塩に配位して錯体をつくることが分離の原理である。日本の六ヶ所再処理工場もこの方式を採用している。放射線や硝酸による分解でジブチルリン酸(DBP)が生じると分離性能が下がるため、炭酸ナトリウム水溶液による溶媒洗浄が工程に組み込まれている。

生体分子に見られるエステル結合

生命の基本構造にもリン酸エステルは深く関わる。DNAとRNAでは糖の3′位と5′位がリン酸ジエステル結合でつながり、高分子の主鎖をつくる。ATPは糖とリン酸がエステル結合し、その先にリン酸無水物結合が連なった分子である。タンパク質のセリンやトレオニン残基がキナーゼによってリン酸化される反応も、細胞内の情報伝達を担うリン酸モノエステルの生成にあたる。

毒性と法規制

すべてのリン酸エステルが安全なわけではない。トリ-o-クレジルホスフェート(TOCP)は遅発性神経毒性をもち、1930年の米国では汚染された酒類によって数万人規模の歩行障害が発生した。現在流通するTCPは、オルト異性体を極力減らしたメタ・パラ体主体の製品となっている。含塩素系のトリス(2-クロロエチル)ホスフェート(TCEP)は生殖毒性が懸念され、2010年にEUのREACH規則で高懸念物質(SVHC)に指定された。調達では、SDSとあわせて各国の含有規制リストを確認しておくことが欠かせない。

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