フェルガナ
中央アジアのオアシス地帯フェルガナは、天山山脈とアライ山脈に囲まれた盆地で、シルダリア川上流域の肥沃な平野を中心に広がる。現在のウズベキスタン、キルギス、タジキスタンの三国にまたがり、歴史的にはソグディアナの一角として交易と灌漑農業が栄えた地域である。乾燥帯に属するが、山麓からの河川と用水路の網により綿花や穀物、果樹栽培が発達し、都市居住と遊牧文化の接点として独自の多民族社会を形成してきた。とりわけシルクロードの要衝として、東西の物資・技術・宗教が交差し、中国史料ではフェルガナを「大宛」と記している。
地理と自然環境
フェルガナ盆地は標高300〜1000mほどの緩やかな盆地で、北を天山、南をアライの山稜が囲み、狭隘な峡谷で外縁と接続する。主要水系はナリン川とカラ・ダリヤ川が合流してシルダリア川となり、扇状地と氾濫原に厚い沖積層を堆積させて農業基盤を形成した。気候は大陸性で冬寒く夏は高温乾燥となるが、山地からの融雪水と古くからの灌漑技術により綿花・小麦・果樹園・桑養蚕が成立した。近代にはフェルガナ大運河の建設により耕地はさらに拡大し、都市群の連担を促した。
- 地形:四方を山に囲まれた盆地で外界と峡谷で接続
- 水系:シルダリア川上流域の扇状地と氾濫原
- 生業:灌漑農業・果樹・養蚕・牧畜の複合
古代史とシルクロード
ヘレニズム期、ソグディアナとバクトリアの境域に位置するフェルガナは、ギリシア系勢力の影響を受けつつ、在地都市国家が交易の中継にあたった。前漢の使者張騫はこの地を「大宛」として報告し、良馬(汗血馬)の産地として評価したことが知られる。前漢の武帝期には大宛遠征(紀元前2世紀末)が行われ、李広利が軍を率いて馬の供給と通商の安定化を図った。これにより河西回廊から敦煌郡を経て西域へ伸びる交易路の実効支配が強まり、都の長安に至る東西交易が常態化した。高原・砂漠・山岳を連ねるシルクロードの分岐点として、商品だけでなく仏教・技術・貨幣制度が往来し、フェルガナは「境域のオアシス都市群」の典型を示したのである。
イスラーム期と都市の発展
8世紀のイスラーム勢力の進出後、サーマーン朝やカラハン朝の支配下で、フェルガナはイスラーム都市文化の洗練を受けた。隊商路の要地として市場と手工業が拡大し、絹織物・金属工芸・陶器などの工房が集積した。ティムール朝の時期には周辺の学芸・宗教施設が充実し、後にコーカンド・ハン国の首都コーカンド、アンディジャン、ナマンガンなどの都市が盆地内で発展を競った。これらの都市は灌漑網の拡充とともに人口を吸引し、職能・共同体・宗派の多層が共存する都市的世界を築いた。
ロシア帝国・ソ連期
19世紀、コーカンド・ハン国はロシア帝国の拡大に押されて併合され、鉄道と行政改革を通じて綿花の単作化が進んだ。ソ連期には民族区画(ナショナリティ政策)と灌漑事業が同時並行で進み、フェルガナは綿作供給地として再編される。1930年代の大規模運河は耕地と都市の拡張をもたらしたが、また水資源の競合や土壌塩類化など環境負荷も招いた。多民族社会の中で移住と工業化が進み、交易地としての性格に加え、農工複合の地域経済圏へと変貌した。
現代の国境・社会と経済
今日のフェルガナ盆地は、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンの行政境界が錯綜し、飛地・回廊・ポケット状の国境が点在する。これにより水利・放牧地・道路アクセスをめぐる調整が不可欠となり、地域協力の枠組みが生活に直結する。経済は綿花・果樹(アンズ・ザクロ)・野菜・繊維・食品加工などが柱で、近年は労働移動や越境商業のダイナミクスが家計を支える。文化面ではウズベク系・キルギス系・タジク系などの言語・宗教的実践が重層し、婚姻圏や市場圏が国境を横断して続いている。
- 資源:流水灌漑・地下水・山地牧草
- 産業:綿花・養蚕・果樹・繊維・食品加工
- 課題:用水配分・土壌塩害・越境インフラの整備
中国史料における呼称と漢帝国の関与
漢代史料はフェルガナを「大宛」と呼び、その良馬を国家戦略資源として評価した。使者張騫の情報によって西域の地誌が整備され、前漢の武帝は交易の安全確保と馬政のために遠征を行った。軍事的主役は李広利であったが、この時期の北方政策では衛青や霍去病が匈奴に対する圧力を強め、西域経営と都・長安の国際化に道を開いた。河西の拠点である敦煌郡とオアシス路の連結はやがて定着し、フェルガナは東西交通の安定した節点として機能し続けた。