フィリップ=アリエス|歴史学

フィリップ=アリエス Philippe Ariés-1914-84

フランスの歴史学者。主著『《子ども》の誕生』『死を前にした人間』『日曜歴史家』。 今日の意味における「子ども」が誕生したのは近代からであり、18~19世紀以前の中世のヨーロッパでは、子ども7歳くらいになると「小さな大人」とみなされ、大人たちと仕事や遊びをともにしながら成長したと説いた。社会的、経済的に大人として処遇されていた。子どもは親からすぐに離れて、徒弟制度によって親方から仕事を学んで修業することが多かった。親や学校などの保護下にある期間が極めて短く、知識や技術ももたないまま非常に厳しい社会で生き抜くこととなる。しかし近代になり、大人になるための準備をする「子ども」の期間の価値が認められ、その独自の意義が見出された。この近代において、子どもを危険や欠乏から保護してきちんと教育を与えるという社会的価値が発生した。当初、フランスの歴史学界ではあまり注目されず、アメリカの教育関係者や青年心理学者、発達心理学者などから大きな反響を受けた。

フィリップ=アリエス

フィリップ=アリエス

<子供>の概念の形成

フィリップ=アリエスは〈子ども〉の概念が、17世紀以前のヨーロッパの研究から「ヒト」としての生物学的な根拠に基づくというものではなく、歴史の中で創出されてきたものであることを論証した。フィリップ=アリエスは、〈子供〉の概念は、ヨーロッパにおいては16世紀から17世紀、すなわち中世から近代の転換期に生まれたものであると主張する。7 歳前後になると、こどもは法的にも経済的にも〈小さな大人〉として扱われていた。徒弟制度のもと、見習修行の生活を通して知識と実務経験を得ていった。しかし、スペインとポルトガルの対外進出を継起に、「商業革命」による多様な取引機会がふえるなか、これまでの専門職以外の一般的な知識や技能を身につけたことで高度な取引を行う必要がでてきた。7歳の子どもを小さな大人として社会に放出するよりも、こどもとして教育を行い、高度な技術を身につける必要があったのである。

青年期

「彼らは古い人間関係や社交関係によって押しつけられる過度な親密さを厭い、孤立することのうちに幸福を見出し、家族以外の社会の残りの部分には無関心になってきた。こうした親子のまとまりは、友人、顧客、奉公人たちにたえず介入され世間に開かれていた17世紀の家族ではもはやない。家族の成員は、日々の悩みや喜びを分ち合うことによって、感情や慣れや生活様式によって結びつけられている。こうした変化に伴い、17世紀以降モラリストたちが訴えてきた『親子関係における子供たちの平等』の意識はますます正しいものとなり、両親たちはもはや、数多くの子供をつくり、そのうちのいく人かが生き残ればその他のものには無関心なままでいる、ということに満足しない。子供を亡くしても、しばしば子供を生み直すということはされなくなり、よりよく面倒をみるために子供の数を限定するのがよいとされるようになる。時代のモラルは人生に入るにあたっての準備を、決して長男のみでなくすべての子供たちに、17世紀末においては少女たちにさえも、与えるように強いるのである。家族は財産と姓名とを伝えていくようなたんなる私権の制度であることをやめ、道徳的かつ精神的な機能を主張するようになり、家族が魂と身体を形成する。子供は日常生活に欠かせない要素となり、人々はその教育や就職、将来を思いわずらう。この集団のエネルギーは、何らの集合的野心もなく、子供たち、ことに子供たちそれぞれの向上に費やされる。ブルジョワジーは自分たちだけ別に、同質的な人々からなる環境として、また彼ら閉鎖的な家族のあいだで、家族の親密さを配慮された住居のなかで、下層民衆の悪影響に染まることから完全に断たれている新しい市街区画のなかで、自分たちを組織しようとして、以前に過していた多様な側面をもっている社会から、引きこもるのである」。(フィリップ=アリエス 著『<子供>の誕生:アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』)

<家族>の概念の形成

17世紀のヨーロッパ以前の<家族>とは、共同体に対して開かれていた。家族と共同体の垣根は低く、職業生活、私生活、社交、社会生活の間に区別は現代では比較にならないほど小さかった。その結果、現代の社会でいわれるような<家族>に加えて、血縁関係にない者(徒弟や家庭奉公など)などと共同生活を送っているケースは珍しくなく、この傾向は富裕層にもめずらしいものではなかった。家族は共同体から独立して存在していたのではなく、あくまで地域と密接なつながりがあった。ところが、<子供>の誕生にともない、親子間の感情的な交流が深まりるに従い、家族は共同体と離れ、「近代家族」になっていったとした。

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