パルメニデス|思想と存在論

パルメニデス Parmenidēs 紀元前500年頃

エレア Elea に生まれたギリシアの哲学者。エレア学派の祖。『自然』という詩が約 160 行現存。彼は「有るもの」のみがあり、「有らぬもの」はないとの原理に立って、存在の唯一不変を韻文で説いた。パルメニデスの議論は論理的に進められ、多様な感覚の世界を排除し、理性的な認識によって、世界の永遠について思索した。存在と非存在、存在と思惟という哲学の重大問題を示唆し、後の認識論、存在論に大きな影響を与えている。

生成変化の否定

パルメニデスは、生成変化を否定した。「あるものはある。あらぬものはあらぬ」存在するものは最初から最後まで存在し続ける。しかし、存在しないものはどこまでも端的に存在しない。存在しない物はどこまでも存在しないから、逆に存在するものは、生成変化することなく、ただ存在し続ける。「ある、そして、あらぬは不可能。」「あらぬ、そしてあらぬことが必然。」。「ある」と「あらざる」のふたつはすべて別のもので、その間に道は通じていない。つまり、「あるもの」は永遠、不変、不動、分割不可能である。それにもかかわらず一般の人々はあるときはあることとあらぬことを同一視し、またあるときには両者を違うものとして取り扱ってしまう。このようにパルメニデスの存在‐非存在はの区分は自然の観察から導き出されたものではなく、論理的思考を推し進めた結果である。

あるの規定

「ある」とは
1.うまれることも滅びることもない。
2.分割されない。(どこまでも一様)
3.運動しない。(永遠に静止)
4.完全である。
5.球のイメージ。

あるものはある。あらぬものはあらぬ。

あるものはある。あらぬものはあらぬ。

思惟

パルメニデスにとって思惟と存在は同一である。人間がしいする場合、かならず思惟する対象がある。「ある」ものは「ある」もの以外にはありえない。思惟とはすべての存在についての思惟である。従って、「ある」ものによって思惟をすすめることが人間の従うべきロゴスの道である。
「ある」=感覚によって捉え知覚することができる。
「あらぬ」=感覚によって捉えることができなく、近くすることができない。

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