ナタール
ナタールは、南アフリカ南東部のインド洋沿岸に位置した歴史的地域であり、現在の南アフリカ共和国クワズール・ナタール州にほぼ対応する。先住民であるズールー人をはじめとするングニ系諸民族の居住地として発展したのち、19世紀にはオランダ系移民やイギリス人入植者が進出し、多民族・多言語社会が形成された。港湾都市ダーバンが外洋貿易の拠点として成長し、砂糖や石炭などの輸出港となった結果、ナタールは南アフリカにおける植民地支配と資本主義経済の進展を象徴する地域となった。
名称と地理的背景
ナタールという名称は、ポルトガル語で「降誕祭(クリスマス)」を意味する言葉に由来し、ヨーロッパ人がクリスマスの時期にこの沿岸部を航海したことにちなむとされる。地理的にはドラケンスバーグ山脈からインド洋に向かって標高が下がる丘陵地帯と沿岸平野からなり、温暖多湿の気候は農業と牧畜に適していた。この地域は、内陸部の高原地帯を拠点とするボーア人の移動ルートと、沿岸に拠点を持つイギリス勢力の接点に位置し、交通・軍事の両面で戦略的価値を有していた。そのため、ナタールは南アフリカをめぐる列強の競合において、早くから注目の対象となったのである。
先住民社会とズールー王国
ナタール周辺には、長らく農耕と牧畜を営むングニ系諸民族が居住していた。19世紀初頭にかけて、シャカのもとでズールー王国が台頭すると、この地域は軍事的に強力な王国の勢力圏に組み込まれ、周辺の首長国が再編成されていった。この過程は「ムフェカネ」と呼ばれる人口移動・戦争の時代と重なり、内陸や周辺地域の社会構造に大きな変化をもたらした。後にアフリカーナーと呼ばれるオランダ系移民やイギリス植民地当局は、ズールー王国との交渉や軍事衝突を通じて、ナタールにおける支配領域の拡大を図ることになる。
ボーア人の進出とナタール共和国
ケープ植民地でのイギリス支配に反発したグレート=トレックの移民集団は、1830年代後半にかけて内陸からナタールへと到達し、ズールー王国との戦いを経て一時的にナタール共和国(ナタリア共和国)を樹立した。ここでは農牧を基盤とするボーア人社会が形成され、独自の自治と宗教的価値観に基づいた政治秩序の樹立が試みられた。しかし、インド洋に面した良港を求めるイギリスはこの動きを警戒し、1840年代にナタール沿岸部を占領してボーア人の共和国を解体させた。この出来事は、ボーア人勢力を内陸のトランスヴァールやオレンジ自由国へと押し戻す契機となった。
イギリス植民地ナタールの成立
イギリスはナタールをケープ植民地とは別個の行政単位として組織し、19世紀半ばには正式なイギリス植民地として位置づけた。ここではイギリス系入植者が政治的主導権を握りつつ、農園経営者や商人、官吏などが社会の中核を担った。イギリス本国は、南アフリカにおける海上交通の要衝を確保するとともに、将来的な「アフリカ縦断政策」の一環としてナタールを重要視した。やがて南部アフリカ全域をめぐる列強の競合はベルリン会議(1884-85)やコンゴ自由国の成立とも結びつき、ナタールは「アフリカ分割」のなかでイギリス勢力の拠点として位置づけられていった。
砂糖産業とインド人移民社会
ナタールの沿岸平野では、温暖な気候を生かして砂糖キビ栽培が発展し、19世紀後半には砂糖産業が植民地経済の柱となった。その労働力を補うため、イギリスはインドから多くの契約移民を送り込み、彼らは砂糖農園で過酷な労働に従事した。契約期間終了後も多くのインド人がナタールに定住し、商業や小規模農業に従事して独自の共同体を形成した。こうしてヨーロッパ系入植者、アフリカ系住民、インド系住民が共存する複雑な社会構造が生まれ、後の南アフリカ社会における人種・民族問題の一要因ともなった。
港湾都市ダーバンの発展
ダーバンは、ナタール植民地における行政・経済・交通の中心都市として発展した。港湾設備の整備と鉄道網の建設により、内陸の鉱山地帯や農業地帯と結びつき、南部アフリカ経済圏を支える重要な玄関口となった。この港は、ベルギー領コンゴやローデシアなど他地域との貿易や戦略輸送にも利用され、19〜20世紀にかけてイギリス帝国のインド洋支配を支える拠点の一つとなった。こうした港湾都市の成長は、ナタールが地域経済の要として機能していたことを物語っている。
南アフリカ連邦への編入と歴史的意義
20世紀初頭、ボーア戦争を経てイギリスは南アフリカ内陸部の共和国をも支配下に収め、1910年にはケープ植民地やトランスヴァールなどとともにナタールを統合して南アフリカ連邦を成立させた。この新国家建設の過程では、セシル=ローズの構想した帝国政策や、アフリカ各地をめぐる植民地支配の再編が作用していた。連邦成立後もナタールは、農産物輸出と港湾機能を通じて重要な役割を果たしつつ、人種隔離政策と抵抗運動が交錯する場ともなったのである。かくしてナタールは、先住民社会、ボーア人社会、イギリス帝国支配、そして南アフリカ国家建設という複数の歴史的文脈が重なり合う地域として、世界史のなかでも重要な意義を持つ。