ローデシア|白人政権と独立問題をめぐる葛藤

ローデシア

ローデシアは、19世紀末から20世紀後半にかけて南部アフリカに存在したイギリス勢力下の地域であり、現在のジンバブウェおよびザンビアに相当する。名称はイギリス帝国主義を代表する実業家セシル=ローズに由来し、彼の企業支配と植民地政策のもとで開発が進められた。この地域は、アフリカ分割と呼ばれる列強による領土争奪のなかで成立し、鉱山資源と農地を求める白人入植者によって支配が強化された。後に南部を中心とする南ローデシアでは白人少数支配が固定化し、黒人住民の土地収奪と政治的排除が続き、独立をめぐる激しい武力闘争へとつながった。

地理的範囲と名称の変遷

ローデシアは、ザンベジ川流域を中心とする内陸高原地帯に広がり、北部の北ローデシアと南部の南ローデシアに区分された。北ローデシアは現在のザンビア、南ローデシアは現在のジンバブウェに相当する。南部アフリカ内陸を縦断してインド洋と結ぶというイギリスのアフリカ縦断政策の要衝とみなされ、ケープからカイロまでを結ぶ鉄道計画の中核に位置づけられた。こうした戦略的重要性ゆえに、世界分割と列強対立の文脈においても注目される地域となった。

成立の背景とアフリカ分割

ローデシアの成立は、1880年代以降のヨーロッパ列強によるアフリカ探検と領有競争の過程と不可分である。列強はベルリン会議(1884-85)においてアフリカ分割の原則を確認し、実効支配の拡大を競った。セシル=ローズ率いるイギリス南アフリカ会社は、現地の首長との条約や武力行使を通じて鉱山権と土地支配権を獲得し、その支配領域をローデシアと称した。同時期にベルギー領コンゴコンゴ自由国が形成されたこととあわせて、企業や個人が前面に立つ植民地支配の典型例とされる。

会社支配から植民地自治へ

初期のローデシアは、イギリス本国ではなく企業である南アフリカ会社によって統治され、行政・警察・税制・鉄道建設などが一体的に運営された。この体制のもとで白人入植者は広大な土地と鉱山利権を獲得し、アフリカ人住民は租税負担と労働義務によって賃金労働市場へ組み込まれた。20世紀に入ると会社支配は批判を受け、北ローデシアは直轄植民地、南ローデシアは自治植民地へと移行するが、いずれも実質的には白人植民者の利益を優先する体制が続いた。これらの変化は、アフリカ分割後の植民地統治の再編として理解される。

白人少数支配と人種政策

南ローデシアでは、アフリカ人と白人の土地を分離し、黒人農民を不利な地域に押し込める政策が進められた。選挙制度も財産や教育資格を条件とすることで、実質的に白人に政治権力を独占させる仕組みとなった。このような人種差別的秩序は、同時期の南アフリカにおけるアパルトヘイト体制と近接した性格を持ち、アフリカ民族主義勢力から強い反発を招いた。ローデシアは、アフリカにおける植民地支配がいかにして制度的な差別と結びついたかを示す典型例として扱われ、他地域の運動や事例とともに世界分割と列強対立の歴史理解に位置づけられている。

独立運動とジンバブウェ誕生

第二次世界大戦後、アフリカ各地で民族解放運動が高揚すると、ローデシアでも黒人住民による政治組織が形成され、土地と政治権利の回復が求められた。これに対し南ローデシアの白人政権は譲歩を拒み、1965年にはイギリスからの一方的独立宣言を行い、制裁と武力闘争の時代に入る。ゲリラ闘争の激化と国際的圧力の高まりのなかで妥協が模索され、最終的にジンバブウェとして独立を達成した。こうした過程は、スーダンや他のアフリカ地域における植民地支配の終焉と併せて、20世紀後半の脱植民地化の重要な一章をなしている。