トルコ革命とイスラーム諸国の動向|近代化と民族運動が進展

トルコ革命とイスラーム諸国の動向

オスマン帝国は長らくイスラーム世界の中心としてカリフ位を保持してきたが、近代に入ると帝国の衰退と列強の干渉が進み、第一次世界大戦後に崩壊へと向かった。こうしたなかで起こったトルコ民族運動と共和国の成立を指すのがトルコ革命であり、その政治的・社会的変革は、他のイスラーム諸地域に対しても大きな刺激と衝撃を与えた。本項目ではトルコ革命とイスラーム諸国の動向を取り上げ、オスマン帝国の崩壊からトルコ共和国の世俗化政策、さらにアラブ地域・イラン・南アジアなどにおける民族運動やイスラーム復興運動の展開までを概観する。

オスマン帝国の崩壊とトルコ民族運動

近代以降、オスマン帝国は領土の縮小と財政難に苦しみ、列強への従属を深めていった。帝国は1914年に第一次世界大戦へ参戦したが、連合国側に敗北し、戦後には厳しい講和条件を伴うセーヴル条約の締結を迫られた。条約はアナトリアの分割やギリシア軍の進駐を容認するものであり、トルコ人の民族的反発を呼び起こした。この状況のもと、アナトリアではムスタファ・ケマルらによる民族運動が高まり、アンカラに国民議会を開いてスルタン政府に対抗した。ギリシアとの戦争の勝利や、連合国との交渉によって、旧来の講和条約は改定されることになり、1923年に新たな国際条約であるローザンヌ条約が成立してトルコの独立が国際的に承認された。

トルコ共和国の成立と世俗化改革

トルコ民族運動を指導したのがムスタファ・ケマル(のちのケマル=アタテュルク)である。彼は1922年にスルタン制を廃止し、翌1923年にアンカラを首都とするトルコ共和国を宣言した。新国家はイスラーム帝国から国民国家への転換を掲げ、宗教権威に依拠しない世俗国家の建設をめざした。その象徴が1924年のカリフ制(カリフ位)の廃止であり、これはスルタン制以上にイスラーム世界全体に衝撃を与えた。併せて宗教裁判所の廃止やシャリーアに代わる近代的民法・刑法の導入、ラテン文字への文字改革、衣服や教育制度の近代化など一連の改革が行われ、イスラーム教団の政治的影響力は大きく制限された。

カリフ制廃止とイスラーム世界への衝撃

カリフは、形式的であってもイスラーム共同体(ウンマ)の最高権威とみなされてきたため、トルコ共和国によるカリフ制廃止は、イスラーム諸地域において「宗教的統一の象徴」を失う出来事として受け止められた。特に、インドやエジプトなどでは、オスマン・カリフ位を守ろうとする運動が事前に展開されており、トルコの決定はこうした運動に挫折と再編を強いた。他方で、カリフ制廃止は、イスラーム世界における政治的・宗教的権威のあり方を問い直す契機ともなり、民族国家レベルでの宗教政策や、近代的な法制度とイスラーム法の関係をめぐる議論が各地で深まることになった。

アラブ地域における民族主義と国家形成

アラブ地域では、第一次世界大戦中に列強が密約や宣言を通じて独立を約束しつつ、戦後には委任統治などを通じて実質的支配を続けたため、反英仏感情とともにアラブ民族主義が高まった。エジプトでは1919年の革命を経て王国としての独立を達成したが、なお軍事・外交面でイギリスの影響が残った。シリアやイラクではフランス・イギリスの委任統治体制が敷かれ、形式的な王国は成立しても、主権は大きく制約されていた。一方、アラビア半島ではイブン・サウードが勢力を拡大し、ヒジャーズ地方を併合して1932年サウジアラビア王国を樹立した。ここでは厳格なワッハーブ派の教義を掲げる一方で、石油開発を通じて近代経済の基盤を整えていった。

イランの近代化とイスラーム

トルコ革命は、周辺のイスラーム地域、とりわけイランに大きな影響を与えた。イランではレザー・ハーンがクーデタを通じて台頭し、のちにパフレヴィー朝を開いて国王レザー・シャーとなった。彼はトルコ共和国を一つのモデルとみなし、中央集権化や軍備強化、衣服改革、教育の近代化などを進めたが、カリフ制廃止のように宗教権威を徹底的に排除するのではなく、王権とウラマー(宗教学者)の間に微妙な均衡を保とうとした点に特徴がある。とはいえ、急激な近代化は地方社会や宗教勢力との緊張を生み、のちのイラン革命へと続く政治文化の対立構図を形づくっていくことになった。

南アジアにおけるイスラーム運動と民族運動

イギリス領インドでは、第一次世界大戦後にカリフ位を擁護する「カリフ擁護運動」が起こり、ヒンドゥー系の民族運動とも一時的に連携した。しかしトルコ本国がカリフ制を廃止したことで、この運動は目的を失い、インド・ムスリムの政治的指向は、インド全体の独立運動とムスリム独自の政治組織の構築という二方向に分岐していった。のちにパキスタン建国へとつながるムスリム・リーグの活動は、トルコ革命後の国民国家モデルとイスラーム共同体意識の両立をめぐる模索の一形態であり、イスラーム諸国の動向の中で理解することができる。

イスラーム復興運動とトルコ革命の評価

トルコ革命が示した世俗的国民国家のモデルは、多くのイスラーム知識人にとって近代化の成功例として受け止められた一方、イスラーム的価値の弱体化として批判も受けた。エジプトで1928年に結成されたムスリム同胞団などの運動は、西洋化と世俗化への懸念から、社会のイスラーム化を通じて近代問題を解決しようとした点で、トルコ型モデルとは異なる道を示している。こうした世俗化モデルとイスラーム復興運動の対比は、20世紀後半以降の中東政治にも影響を残し続けており、トルコ革命は単なる一国の政変にとどまらず、イスラーム諸国の国家像・宗教政策・対西洋関係をめぐる長期的な議論の出発点として位置づけられている。