イラン
イラン(Iran)は西アジアのイラン高原を中心に、カスピ海・ペルシア湾・ザグロス山脈に囲まれた地理と、多民族・多言語の社会、そして「ペルシア」の名で知られる古代以来の文明的伝統を併せ持つ国家である。古代のアケメネス朝と後代のササン朝は王権・行政・道路網を整え、古典期の国制と文化を形成した。7世紀以降はイスラームが浸透し、イランは東西の接点として知と交易を再編した。近世にはシーア派の国教化、近現代には国家建設と資源開発、地域秩序の試練が続き、歴史の重層性が現代社会の基盤をなしている。
地理と交通の要衝
イラン高原は乾燥帯に属しつつも山麓のオアシスや内陸盆地に都市が展開する。ザグロスとアルボルズが自然の回廊と障壁を同時に与え、古来よりカフカス・中央アジア・メソポタミアを結ぶ路の結節となった。東方ではホラーサーンが軍政と学術の拠点として機能し、隊商路と灌漑(カナート)が農耕・手工業・長距離交易の基盤を支えた。この地理は政治秩序の多中心化と、都市間ネットワーク型の発展を促した。
民族構成と社会
住民の中核はペルシア人であるが、アゼリー人・クルド人・ロル人・バローチー人・アラブ人など多様な集団が共存する。遊牧と定住、山地と平野、都市と農村の相互作用が社会の力学を形づくり、家父長制・宗教共同体・職能ギルドが歴史的に重層した。こうした多元性は「国家=文明圏」の二重性を帯び、文化的統合と周縁の自立を往還させてきた。関連項目はイラン人を参照。
言語と文学
主要言語はペルシア語(ファールス語)で、古代・中期・新期を通じて文語の伝統が継承された。叙事詩『シャー・ナーメ』は古代伝承を再編し、王権観と倫理を詩的に刻印した。宮廷と都市の詩学、細密画、書道はイスラーム期の装飾芸術と融合し、語彙・韻律・物語枠を周辺諸言語へ媒介した。国民的詩人についてはフィルドゥシーを参照。
宗教と宗派
古代にはゾロアスター教が王権と結びつき、善悪二元論・火の祭儀・清浄観を社会規範とした。イスラーム受容後、法学・神秘主義・神学が重層化し、近世にはシーア派十二イマーム論が制度化される。宗派秩序の形成は地域間政治をも規定し、対外関係ではスンナ派諸帝国との境界設定に作用した。初期の展開はイスラーム世界の成立、広域秩序の変容はイスラーム帝国の分裂を参照。
古代からイスラーム期の歴史
アケメネス朝はサトラップ制・王の道・駅伝を整備し、帝国統治の規範を示した。後継のササン朝は「諸王の中の王」を称し、軍制と祭司機構を統合して東ローマと抗争した。イスラーム征服後、地方王朝はペルシア語文化の庇護者となり、宮廷・学術・交易のネットワークを東西に拡げた。古代帝国の帰趨はペルシア帝国の滅亡、各王朝像はアケメネス朝・ササン朝を参照。
近世・近代の変動
近世イランではシーア派の国教化が進み、宗教権威・軍事・官僚の均衡を軸に領域国家が形成された。19〜20世紀には憲法運動、資源外交、国有化と政権交代を経て、1979年の体制転換後は対外関係の緊張と社会の動員が続く。1980〜1988年のイラン・イラク戦争は国家と社会に長期の負荷を与え、戦後は復興・制裁・地域安全保障の三要素の調整が課題となった。
経済・資源と対外関係
炭化水素資源が外貨と財政の要である一方、農業(小麦・果樹・ピスタチオ)、都市手工業、化学・自動車などの多角化が志向されてきた。内需主導の工業化は技術移転と金融制約に左右され、人口構成の若年化は雇用・教育・住宅の政策連動を促す。対外関係では湾岸・コーカサス・中央アジアの動態と連動し、回廊整備・港湾連結・通貨決済の多極化が通商環境を形づくる。
都市景観と文化遺産
テヘランは行政・金融の中心として拡大し、イスファハーンやシーラーズは広場・モスク・バザール・庭園が織りなす都市景観で知られる。タイル装飾・イーワーン・ミナレットの建築語彙は、美術工房と文人文化によって継承・再解釈され、地域社会の儀礼・祝祭・食文化と共鳴している。イラン史の広域的文脈は東方イスラーム世界に位置づけられる。
- 関連:古代から近世の節目(アケメネス朝/ササン朝/宗派秩序の形成と分裂)
- 文化:叙事詩と詩学(フィルドゥシー)、古代宗教(ゾロアスター教)
- 地理:高原と辺境(ホラーサーン)、「ペルシア」概念の継承
- 現代:地域秩序と戦争(イラン・イラク戦争)