インド共産党|植民地支配と闘った左派政党

インド共産党

インド共産党は、イギリス植民地支配下のインドで結成された共産主義政党であり、労働者・農民運動と独立運動、さらに独立後の議会政治において重要な役割を担ってきた政党である。1925年に北インドの工業都市カーンプルで正式に発足し、ロシア革命と国際共産主義運動の影響を受けながら組織を拡大した。現在も全国規模の政党として選挙に参加し、左派ブロックや地域政党との連立を通じて社会改革を掲げ続けている。

成立の背景

インド共産党の成立背景には、19世紀末から20世紀初頭にかけての植民地支配への抵抗と、世界的な社会主義思想の高まりがある。植民地期のインドでは、プランテーション労働者や工場労働者が急増し、賃金や労働条件をめぐる争議が頻発した。1917年のロシア革命は、帝国主義への闘争と共産主義国家の建設というモデルを示し、留学生や活動家を通じてインドにも伝わったのである。

結成と初期活動

1925年、各地のマルクス主義団体や労働運動の指導者が合流し、カーンプルでインド共産党の結成会議が開かれた。党は産業都市を中心に労働組合を組織し、鉄道、港湾、繊維工場などでストライキを指導したため、植民地政府は党員を治安法で逮捕・起訴し、いわゆる「陰謀事件」として弾圧した。これにより党は地下活動を強いられたが、同時に都市労働者の間で存在感を強めていった。

インド国民会議派との関係

インド共産党は、民族運動の主力であるインド国民会議派との距離感をめぐって常に戦略的な選択を迫られてきた。初期の党は、ブルジョワ民族主義とみなした会議派を批判しつつも、大衆動員の力を認め、運動の中に入り込んで労働者・農民の要求を押し出そうとした。とりわけガンディーの非暴力運動に対しては、路線の違いを指摘しながらも、植民地支配への共通の反対という点で一定の協力関係を築く場面もあった。

第二次世界大戦と方針転換

第二次世界大戦の勃発はインド共産党の路線に大きな転機をもたらした。戦争初期、党は帝国主義戦争として英領当局を批判し、反戦と民族自決を訴えた。しかし1941年に独ソ戦が始まりソ連がドイツの侵略を受けると、国際共産主義運動の方針に従い、ファシズム打倒を優先する立場から連合国側を支持する路線へと転じた。この転換は、同時期に反英闘争を強めた会議派との対立を深め、党の大衆的支持にも複雑な影響を与えた。

独立後の議会政治と州政権

1947年のインド独立後、インド共産党は合法政党として議会選挙に参加し、左派野党としての地位を確立していった。とりわけ1957年、南部ケーララ州で世界でも早い時期の選挙による共産党政権を樹立したことは象徴的である。ケーララでは土地改革や教育・保健の拡充が推進され、後のインド社会政策にも影響を与えた。全国レベルでは、連立政権への参加や外部支持を通じて、土地問題や労働法制、公共部門の維持をめぐり一定の影響力を保持してきた。

分裂とマルクス主義派の形成

1960年代に入ると、インド共産党内部では対外路線と国内戦略をめぐる激しい論争が起こった。ソ連と中国共産党の対立、いわゆる中ソ対立が深まるなか、ソ連寄りの潮流と中国寄りの潮流が党内で対立し、1964年には党が分裂して冷戦構造を反映した複数の共産党が並立する状況となった。国会や州議会では、旧来の党とマルクス主義派がそれぞれ独自の勢力として活動し、インド左翼は多党化していくことになる。

社会運動と組織基盤

  • インド共産党は、労働組合運動を通じて工業労働者の賃金・労働条件の改善に取り組み、多くの産業別組合の結成に関与してきた。
  • 農村部では、地主制の打破や小作人の権利擁護、土地改革の促進を掲げ、農民組織を通じた運動を展開している。
  • また、学生・知識人層の組織化にも力を入れ、反帝国主義、反封建、世俗主義を掲げる左派文化運動の担い手ともなった。

国際共産主義運動との関係

インド共産党は、創設当初から国際共産主義運動との連携を重視し、コミンテルン期には世界革命戦略の一翼を担う植民地解放運動として位置づけられた。独立後もソ連やその他の社会主義国との関係を維持しつつ、発展途上国の反帝国主義・不結盟路線との調整を図ってきた。冷戦終結後は、社会主義圏の崩壊や経済自由化の進行という不利な環境のなかで、大衆政党としての再編と政策の再検討を迫られつつ、反貧困、世俗主義、防衛的福祉国家といったスローガンを掲げて活動を続けている。