イマームの広場|世界遺産イスファハーン中枢

イマームの広場

イマームの広場は、イラン中部の古都イスファハーンに所在する長方形の都市広場で、Naqsh-e Jahan(「世界の図」)としても知られる。サファヴィー朝期に王権と市場、宗教を結びつける中枢として整備され、四周に宮殿・モスク・バザールを配した統合的都市計画の到達点を示す。1979年にUNESCO世界遺産に登録され、イスラーム都市設計と装飾美術の粋を今に伝える。

位置と都市空間

イマームの広場は市街南北の幹線と東西の市バザールを結ぶ結節点に置かれ、長辺約560m・短辺約160mの比率が儀礼・競技・交易の多目的利用を可能にした。西側は王宮地区、北はケイサリエ門から大バザールへ続き、都市動線が広場に集約する設計である。

歴史的背景

16世紀末、シャー・アッバース1世が遷都を断行し、王権の威信を示す表象空間として広場を造成した。国家の宗教的基盤にはイランのシーア派、とりわけ十二イマーム派が据えられ、宮廷儀礼・説教・商取引がこの場で交錯した。サファヴィー国家を支えたサファヴィー教団と軍事諸部族のネットワークも、広場を軸とする都市秩序に組み込まれた。

名称の変遷

近代以前には「王の広場」と称され、革命後に現在の名称へと改められた。呼称の変化は政治的正統性の表現が王から「イマーム」へ転位した事実を映す。

建築構成

四辺に象徴建築を配して視覚的・機能的な均衡をとる。南に金曜礼拝の中心となる大モスク、東に王家の私祈祷を担う小モスク、西に王の謁見・観覧を司る宮殿、北に市バザールへ導く城門が対置され、宗教・政治・経済が一体化する。

  • 西:アーリー・カープー宮殿の多層テラスは式典・競技の観覧席となり、王権の可視化を果たした。
  • 南:大モスクは壮大なイーワーンと中庭を備え、都市の宗教的重心を示す。
  • 東:シェイフ・ロトフォッラー・モスクは小規模ながら精緻なタイル装飾で王家の敬虔を象徴する。
  • 北:ケイサリエ門から大バザールへ至り、市場経済と広場が直結する。

儀礼と都市生活

イマームの広場では祝祭・閲兵・王の布告が行われ、地表にはポロ競技のゴール柱が設けられた。定期市が周縁に立ち、絨毯・金属器・陶器などの生産と流通が連動することで、宮廷文化と市民生活が同じ地平で交わった。

意匠と技術

建築群は藍とトルコ石色の七彩タイル、幾何学・植物文様、コーラン章句の書芸で統一される。正面性を強調するイーワーン、連続アーチ、蜂巣状装飾が奥行きを生み、遠近に応じた視覚演出が施された。夜間もタイルの光沢が残光を受け、広場全体の統一感を保つ。

比例と方位の工夫

広場は都市軸に沿って配列される一方、礼拝方向(キブラ)に合わせて主要門がわずかに回転し、都市秩序と宗教規範の両立を達成する。遠近法的に高さ・開口部を調整し、視線が自然に象徴建築へ導かれる。

政治・宗教と対外関係

サファヴィー朝はシーア派王権を標榜し、対外的には宿敵オスマン帝国に対抗した。軍事・外交の緊張が高まるなか、首都の威容を体現する舞台としてイマームの広場は機能し、国内統合と正統性の演出に寄与した。

保存と現代の課題

世界遺産登録以後、車両進入の制限や景観規制、構造補修が進められてきた。観光増大は経済を潤す一方、舗装・地下施設・振動による劣化や混雑の制御が課題である。伝統的商いと住民生活、来訪者体験をどう両立させるかが、今日の保存政策の焦点となっている。