アダム・スミス|経済学の父,『国富論』と『道徳感情論』

アダム・スミス Adam Smith

アダム・スミスは、イギリスの経済学者・哲学者で、イギリスの古典派経済学の祖と呼ばれる。近代資本主義の支柱的役割を担った。主著は『国富論』『道徳感情論』。スミスの代表的な成果は経済学や倫理学に及ぶ。経済学では,各人の自由な利益追求が生産力を高め、社会全体の富を増大させるという自由放任主義をとなえて,自由主義経済を基礎づけた。また、富の源泉を各人の労働による生産力に求める労働価値説を説いた。倫理学・哲学では、公平な観察者の共感・同情を得られる範囲内で利己的な行為が是認されるという、道徳感情論を説いた。
アダム・スミスは倫理学上の成果(道徳感情論)の上に自由主義経済を説いたところに彼の研究の成果がある。

アダム・スミス

アダム・スミス

アダム・スミスの生涯

アダム・スミスは、1723年、スコットランドのカコーデイに生まれた。父は税関吏、母はジェントリ(地主)の娘であった。アダム・スミスが生まれる前に父が亡くなったため、母子家庭で育つ。生涯結婚することはなかった。14歳の時、グラスゴー大学に入学し、経済学的内容をもつ道徳哲学の講義からジョン・ロックに影響を受けた。17歲から22歳まで聖職者を育成する枠で奨学金を得てオックスフオード大学に留学し古典を学んだが、しだいに彼の興味は研究に惹かれていく。28歲でグラスゴー大学の論理学教授、翌年には道徳哲学教授に転じ、神学・倫理学・法学・政治学の講義を行った。ヒュームと親交を結ぶ。晩年にはグラスゴー大学の名誉総長を勤めた。

アダム・スミスの年表

1723 スコットランドのカコーデイに生まれる。
1737 グラスゴー大学に入学する。
1740 オックスフォード大学に入学。
1748 ディンバラ大学で修辞字と経済学の講義を務める。
1759 『道徳感情論』を公刊。
1762 グラスゴー大学副総長に選ばれる。
1764 バックルー公爵の付添教師としてスイス・フランスを旅行。大学を退く。
1776 『国富論』を公刊。
1787 グラスゴー大学総長に就任。
1790 死去。

神の見えざる手

アダム・スミスは人間社会において、各個人が自由に利己的に振る舞い行動することが社会全体の利益につながると考えた。スミスは経済学において、各人の人間の本性である利己心に従うことは、神の摂理と矛盾しない。それだけでなく、結果として公共の利益につながると考えた。各人が自己の利己心に忠実に各自の利益を追求していれば,それが神の「見えざる手」によって社会全体が調整され、人間社会全体の利益を残すとした。なお、スミスは「神の見えざる手」という用語を使っておらず、単に「見えざる手」と書いている。

アダム・スミス

アダム・スミス

自由放任主義(レッセ-フェール)

アダム・スミスは、管理することを否定的である。国民の富の源泉は労働に有り、社会の発展は労働生産力の向上であるとした。そして、そのためには各個人が自由に経済活動をすることが肝心で、国家が干渉することは否定的であった。このような立場を自由放任主義(レッセーフェール)という。

『国富論』アダム・スミス

もちろん、彼はふつう、社会一般の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。外国産業よりも国内の産業活動を維持するのは、ただ自分自身の安全を思ってのことである。そして、生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも,見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。かれがこの目的をまったく意図していなかったということは、その社会にとって、これを意図していた場合にくらべて、必ずしも悪いことではない。自分の利益を追求することによって、社会の利益を増進しようと真に意図する場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することもしばしばあるのである。

夜警国家論

国家は個人の自由な経済活動に干渉してはいけない。各人は利己心に従い、経済活動を行えば、神の見えざる手により自然と調整され、社会全体の利益となる。よって、国家は、その役割を最低限に留める必要があるという夜警国家論を唱えた。

共感

アダム・スミスは倫理として、、他人の感情に共感する利他的感情、共感(同情心)を説いた。人間はその本性として、利己的な存在であるが、同時に他人を思いやる利他的感情を持っている。利他的感情とは、たとえば、他人が悲しんでいる時は、自らも悲しさにとらわれる感情をいう。この共感(同情心)こそが行為の是非について判断する際の「公平な傍観者」である。人間は利己心に駆られながらも,「公平な傍観者」の声を聞きながら、自己の欲望を追求している。スミスは自由放任主義の経済学から、資本主義の暗部である経済格差や単調な労働の象徴的に扱われることもあるが、あくまでも共感の倫理学が自由主義経済の前提にある。

アダム・スミス

アダム・スミス

自由主義経済の懸念

アダム・スミスは1776年に『国富論』を発表し、ここに自由主義・資本主義経済の理論が確立することになる。しかし、資本主義経済が社会全体の富を蓄積する一方で、分業により過酷な単純労働を止む無くする労働者や低賃金で働くこどもなどの社会問題が深刻化する。その点からネガティブに批判されることもあったが、『国富論』を刊行する17年前、1759年『道徳感情論』を発表している。スミスは倫理的道徳的研究を踏まえ、資本主義経済の暗部を十分に懸念しながら資本主義経済の理論を立てた。

アダム・スミス問題:利己心と共感の両立

利己心を原動力として自由な経済活動におけるスミスの経済学と相手の立場や心情を想い、共感や同情するスミスの倫理学との両立は困難である。人間がどんなに利己心に基づく存在であったとして、他人の悲しみを想像し、その本性から自分も悲しくなる存在であることに間違いはないとしたが、現実としてそれは成り立つかどうかをアダム・スミス問題という。

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