黄河文明|黄河の黄土地帯に花開いた古代中国の文明

黄河文明

黄河文明とは、黄河中下流域の黄土地帯に原シナ人が開いで、東アジアではもっとも早く開けた文明である。農耕文明で、前5000~前4000年ころから、初期農耕を始めてアワ・キビを中心とする穀物を栽培し、家畜を飼い、磨製石器や彩文土器(彩陶)を用いるようになる。その後、新石器時代の彩陶文化(仰韶文化)から黒陶文化(竜山文化)を経て、の青銅器文化へと発達した。一般に彩陶文化黒陶文化に分けられる。

目次

黄河文明の地理的地盤

現生人類が生存していた更新世後期には、激しい風が絶えなかった時期があり、モンゴルや中央アジアの砂漠地帯から黄色の土が運ばれ、黄河の上・中流域に堆積した。さらに完新世の雨の多い時代に、西方の高地から押しよせた濁流によって東方の低い地方に運ばれ、黄河の氾濫によって下流に植物の生育に適した地域ができた。

黄河

黄河は、中国第二の大河である。青海省に発し、甘粛・陝西・山西・河南・山東の諸省を流れ渤海湾に注ぐ。流域には肥沃な黄土地帯が広がり黄河文明が栄えた。中下流域では氾濫と流路の変更が繰り返され、治水が課題となった。

黄土

黄土は、砂漠地帯から風や河川によって運ばれ堆積した、淡黄色・灰黄色の岩石の微粒子であり、華北平原一帯に厚く堆積している。石灰分やアルカリを多量に含む肥沃な土壌を形成し、空気水をよく通すため、適度な水分で小麦・きび、粟などが育つ。

黄河の泥

黄河の泥は、中流部の黄土高原から供給されている。黄河の山西・陝西省境の区間と渭河(いが)・経河(けいが)地区は、暴雨地区で、また黄土堆積が最も厚い。しかし、植被がかなり劣り、水土流失の最も激甚な地区で、黄河の泥の主要生産地区である。黄河の平均含砂量は、37.7kg/mで、1年間の砂の輸送量は、16億tに達する。また、3000年の間に、1500回以上も洪水を生じ、流路の大変遷だけでも9回にのぼっている。

彩陶文化

彩陶文化は、前4000~前2300年ごろ、黄河の中・下流域の黄土地帯に栄えた文化である。原始的な氏族共同体による村落が、半地下式住居に住んで農耕と牧畜を行い、土器や織物の製作技術をもった。磨製石器(新石器)を用いて、粟・きびなどの穀物を栽培し、豚・犬などを飼育した。また、穀物を蓄えたり蒸したりするのに甕が使われた。

黒陶文化

黒陶文化は、前2300~前1600年ごろに中国に現れた大村落農耕文化である。原始農耕民は経済的・文化的に発展した形で出現した。黒陶文化は、彩陶文化と、後の都市文明である文化との中間的なもので、文化圏は下流域の山東方面を中心に、東は山東半島から河南・山西南部をへて、西は陝西省に達し、北は遼東半島から、南は浙江北部におよんだ。製陶技術が発達して灰陶のほかいわゆる黒陶(黒色土器)が盛行した。

半地下式住居

半地下式住居というのは、地面に円形の浅い穴を掘り、その穴の周壁を家の壁とし、その上に木材を組み、茅葺き(かやぶ)の屋根を架したもので、入口は坂や階段になっている。

生活

住民は、半地下式住居生活から地上の家屋生活に移り、土塁をめぐらしたと呼ばれる都市国家を形成するようになる。豚・犬のほか牛・馬を飼育し、一部には獣骨による占いも行われた。は発展に伴い、大邑となり、やがて国家になっていく。中国の伝説上の三皇五帝や夏王朝は、このような原始的な国家を支配する王と考えられる。なお、その中で、が中国最初の国家として台頭した。


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