邑|黒陶文化の後期から春秋時代に形成された集落

邑(ゆう)は、黒陶文化の後期から春秋時代に形成された集落や都市を意味し、この中で祭祀と軍事を重視する氏族共同体の生活が営まれた。防備のために周囲を樹木や土壁で囲んだも多く、それらは城郭都市と呼ばれる。のちにの規模が拡大すると、都市国家とも称される規模になり、その連合国としてが台頭した。

目次

黒陶文化の後期になると、黄河の中・下流域に、邑と呼ばれる集落が広く形成されるようになった。邑(ゆう)は、当初は土塁(どるい)などをめぐらした小規模な集落で、その内部は、血縁関係によって結ばれた氏族共同体的な性格が強かったが、のちには、城壁で囲まれた都市国家的な形態のものへと発展していった。やがてその中で殷が台頭し、緩やかな連合国を形成する。

都市国家

堅固な城壁に囲まれた有力な邑は、周辺の小さな邑を支配下において成立し、都市国家ともいうべき規模に発展した。都市国家は規模や機能によって、王国(都城)・大邑(国城)・小邑などに分けられる。

  • 王邑:王の支配した大規模な邑
  • 大邑:大諸侯の支配した比較的大きな邑。
  • 小邑:中小諸侯の支配した小規模な邑。

邑制国家

強力な邑(都市国家)が、他の邑を支配、あるいは連合の中心となってできた国家組織で、その指導者は通常は「王」と呼ばれ、支配(連合)下においた邑の多さで強弱がはかられた。

殷王朝

邑が発展すると、やがて強力な邑と弱小な邑の間に支配一服属の関係が生まれ、強力な邑の首長は、服属した多数の邑を支配する王となる。こうして、特定の王家が諸邑の上に君臨する王朝が成立したと考えられる。伝説によれば、三皇五帝のと呼ばれる聖王が世を治めた神話時代のあと、禹を開祖とするが中国最古の王朝とされるが、の実在は確認できず、現在確認できる最古の王朝は(前17世紀~前11世紀)である。


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