自由意志|ルネサンス,カント,ヘーゲル他

自由意志

自由とは拘束を免れる「~からの自由」と人間が自らの意志で目標へと向かう「~への自由」の二種類がある。特に後者を自由意志といい、人間が自ら目標を選択肢し、なしえながら生きなければならない。

目次

ルネサンスにおける自由意志

ルネサンスにおける自由意志とは、中世の宗教的束縛から解放され、自らの意志によって何事でも成し遂げ、自己を高めて完成さす万能人が理想とされた。ルネサンス初期のヒューマニストのピコ・デラ・ミランドラは、人間は自由意志によって、自己の形成者になれると主張して自由意志を肯定した。また、エラスムスが『自由意志論』を書いて、神との関係に人間の自由を強調し、神の恩龍と人間の自由は両立し、善は神の恵みであり、悪は自分の生み出したものであるとした。ドイツの宗教家ルターは『意志非自由論』を書いて、神の摂理の前では人間の自由には意味がないとし、罪を持つ無力な人間には、みずからの意志で善や悪へと向かう自由はなく、すべては神の摂理によって必然的に定められていると説いた。

アウグスティヌスにおける自由意志

初期のキリスト教は人間の魂と肉体を分けて考え、人間の肉体はほかのすべての被造物とともに必然の領域にあるが、魂には自由が与えられており、これによって魂は最高の存在者を目指すとした。しかし、これでは魂の中に悪が内在してしまう。アウグスティヌスは、「意志」と「自由意志」を区別することで、自由と悪の問題を解決する。「意志」は自律的なものであり、人間の最高の精神能力である。だが、この「意志」の実際の発動者である「自由意志」はさまざまな存在者に向かいうる。神(=善)に向かう「意志」が善き意志であるが、それ以外の「意志」は不完全な存在者(悪)に向かうことがある。こうして悪は人間の「自由意志」から生じるが、人間みずからの「意志」を神に向ければ、悪は克服することができる。

カントにおける自由意志

カントは実践理性による道徳的な意思決定を想定し、善意志にもとづきう条件に意思決定する近代的故人に道徳法則を適用した。意志の自立こそ人間の自由である。

ヘーゲルにおける自由意志

ヘーゲルは人間の自由は絶対精神の自己実現によるものと考え、家族、市民社会、近代国家によって完成される人倫を弁証法的に思考した。