第一次征長戦争(第一次長州征伐)

第一次征長戦争

第一次征長戦争とは下関戦争の敗北や禁門の変で疲労した長州に対して、徳川幕府は35藩に長州への出兵を命じた戦争。圧倒的な数を誇ったが、多くの藩は財政難で士気は高くなかった。(参考:第二次征長戦争

高杉晋作

高杉晋作

目次

第一次征長戦争

1864年11月、禁門の変で孝明天皇の怒りを買った長州藩に幕府は35藩15万人もの大軍を投じて、長州征討に向かう。

長州藩の状況

長州藩では禁門の変と四国連合艦隊による下関砲撃の敗北が重なったため、藩内の尊王攘夷派が大きく衰退していた。
代わって藩内では穏健派である、上層部の閥士族ら俗論党が実権を握った。俗論党は、恭順の意を示し、幕府の要求通り3人の家老の切腹を決め、家老の首を広島に送った。実権を握り、彼らは朝廷や幕府に謝罪し、藩の存続をはかろうと動き始めた。
こうした状況下でも、俗論党に反発する正義派は、強硬論を述べたが、封じ込められた上、正義派の諸隊の解散命令が下る。

長州藩の謝罪

長州藩はほとんど戦争をせずに降伏し、幕府側も致命的な処分を避けたため、幕府軍の撤退を決めた。

俗論党と正義派の対立

第一次征長戦争をきっかけに俗論党と正義派の対立が激化する。正義派の中心は高須晋作、隊長は伊藤俊輔(伊藤博文)で奇兵隊や力士隊で構成されているが、高杉晋作は諸隊を率いて下関で挙兵。床屋や豪農、豪商の支持を受け、一般庶民の支持を得た。1865年、正義派は正規軍を破り、以降、藩論の実権を握る。