「神は死んだ」ニーチェ|Gott ist todt! Gott bleibt todt!

「神は死んだ。」ニーチェ

「神の死」はニーチェの哲学によって知られ、『ツァラトゥストラ』(1883)において中心的に論じられている。ニュートンに代表される科学革命や工業化による産業革命によって、キリスト教やプラトン以来の超越論的哲学の上に築かれた伝統的な価値観や道徳が崩壊した。人々にとって世界が無目的で無価値なものであることが明らかになる。こうしたニヒリズムの到来をニーチェは「神は死んだのだ」という言葉によって現れた。キリスト教が説く超越的な真理や価値が、実は弱者が自己保存をはかるために虚構されたものであることが暴露された状況を意味する。ニーチェの著作のひとつである『ツァラトゥストラ』で中心に論じられている。(ニーチェのニヒリズム

ニーチェ

ニーチェ

神の死の本来の意味

本来、神の死は、キリストの受難と贖罪死を意味する。

「神は死んだ」ニーチェ

ニーチェが「神の死」という言葉を使うとき、伝統的な哲学やキリスト教の死を意味する。プラトンイデア論から始まる哲学の伝統はキリスト教と結びつき、また、カントヘーゲルによって、その絶頂を迎えるが、ヨーロッパ全体が、超越論的な哲学が支配的になる。しかし、ニュートンコペルニクスなど科学革命が起ると、神を想定しなくとも、合理的に万物を説明できるようになる。しだいに聖書と物理の矛盾も知られるようになり、神の権威は失墜し、神のロゴスである理性や絶対的真理を根拠とする形而上学は瓦解した。ニーチェはこのことを「神の死」と表現する。

能動的ニヒリズム

ニーチェは我々が信じていたキリスト教はすべて虚構にすぎず、ただ虚無であることを、民衆の前でたたきつけた。民衆は存在しない理想をもって生き、それを根拠に人生の意味を与えてきた。もし、ニーチェによる神の死の宣言はこの自覚を意味するのならば、一転、肯定的な意味をみることもできる。人生にはなんの意味も目標もないとしてもこの生を肯定的い受け入れ、新たな価値を見いだそうとすることによってニヒリズムの超越を示唆している。

イエス・キリスト

イエス・キリスト

『悦ばしき知識』(1882年)

〝狂気の人間〟は白昼に提灯を灯しながら市場にかけこみ、しきりに神を探している。そこに居合わせた人々はこぞって彼をあざ笑い、「神様が子供みたいに迷子になったのか。」と問いかける。彼は彼らを睨みつけ、「神は死んだ!神は死んだままだ!それも、おれたちが神を殺したのだ!」と言い放った。

『ツァラトゥストラかく語りき』からの引用

かっては神を冒涜することが最大の冒涜だった。しかし、神は死んだ。そして神とともに冒涜者たちも死んだのだ。こんにちでは、大地を冒涜することが、もっとも甚だしい冒涜である。

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