渡辺崋山|窮理の精神,『解体新書』の翻訳

渡辺崋山

渡辺崋山は、江戸時代末期の洋学者である。三河国(静岡県)田原藩家老の子として江戸で生まれ、藩の家老まで務めた。政治家として産業の復興、飢饉対策や教育で成果を挙げ、開明的な政治家として名声を博し、1833年には、高野長英らとともに尚歯会を結成し、洋学を研究する。画家としても才能を発揮し、西洋画に近い独自の肖像画スタイルを確立した。
1838年、モリソン号打払いという幕府の海防政策を批判して『慎機論』を著し、蛮社の獄に連座、国許に蟄居を命ぜられ、自刃した。
彼の身につけた洋学は、幕藩体制に奉仕するものから一歩進んで、人びとの困窮を救おうとするヒューマニズムにまで達していたといえる。

目次

窮理の精神

西洋における近代文明の進歩は、事物を論理的・合理的に考察する物理学によるものであると考え、これを窮理の精神と呼んだ。自然だけでなく、人間社会のあり方も対象にすることで、科学技術の発展をもたらしていると考えた。渡辺華山は、西洋の科学技術の発達が航海術と軍事力を向上させて日本に迫ろうとしていることを訴えた。

日本医学の近代化への礎

前野良沢と杉田玄白は、江戸初期から断片的に流入していた西洋医術に対する知識が混乱しており、その原因が西洋医字用語への無知にあると考えた。そこで、ラテン語表記とオランダ語表記の区別をしっかりと踏まえて意味を確定する地道な作業をくり返して、解体新書を翻訳した。この作業は、福沢諭吉に影響を与え、日本医学の近代化および日本社会全体の近代化に大きな影響を与えた。


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