善|哲学,宗教,善とはなにか。

善|哲学,宗教

とは、倫理や道徳において使われる言葉で倫理的・道徳的であることを意味する。徳や良心など。ニュアンスは幅く古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「“善い”という言葉は“有る”と同じように多くの意味で使われると述べている。」

善のイデア|プラトン

プラトン哲学イデア論にその特徴がある。イデアとは完全で理想的な原型を意味し、個々の事物はすべてイデアの影として存在する。三角形には三角形のイデア、家には家のイデア、美には美のイデアを持つ。我々は個々の事物を目の前にした時、イデアを想起することによって、馬を馬として、美しいものを美しいものとして認識することができる。同様に、善にも善のイデアがあり、完全なる善が存在する。この善のイデアはイデアにおいても特徴的であり、この善のイデアがあるから我々は思惟の働きを行うことがある。諸々のイデアのなかでも最高位にあるイデアである。このようにプラトンは理想で完全なるイデアの中でも善をもっとも重要であると考えた。

キリスト教の善

神は全知全能であり、最善であるとして存在する。最善な神はもっとも完全なものであるという規定を含む。

アリストテレス

アリストテレスは社会に生きる人々のなかの善について思索を行った。人間は言葉(ロゴス)を持つ動物であり、共同生活を行う社会的動物であるから、善に関する学問は政治学のひとつであるとした人間は日々各々の欲求について様々な行為を行うが、それらはすべて欲求を叶えたい、という目的を持つ。「行為にはたくさん目的があるが、そのうち、我々がその目的をそれ自体のために願望し、それ以外の目的をその目的のために願望するような、そんな目的が最高善である」とした。そして人間は最高善を求めて生きている。善とは「植物や動物にはない人間に特有な卓越性(アレテー)に基づく魂の活動」であり、それこそが人間にとっての幸福であるとした。

カント

カントは完全な徳(最上善)と幸福が合致したとき、理想的な状態としての最高善がなされるとした。カントは動機主義という立場を取り、道徳は、その行為の結果ではなく動機において成り立つという。そして、そのとき純粋に善をなそうとする善意志が行為の動機にならなければならない。カントは快楽が目的になっては行けないのである。善意志による行為に、それにふさわしい幸福がともなう理想の状態は、最高善と呼ばれる。ところが現象界では、善と幸福の一致は困難だから、英知界において善にふさわしい幸福を与える神の存在が要請される。幸福を得るために善をなすのではなく、幸福を得るにふさわしい善い人間にならなければならない。そして、義務に従う強い意志をそなえた徳(最上善)を実現するためには、無限の道徳的努力が必要であるから、その条件として魂の不死(永遠)が要請される。こうして、カントは、善を求めるに従い、神や魂の不死の存在を主張した。

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