日蓮|日蓮宗,法華経,われ日本の柱とならん

日蓮

日蓮は、日蓮宗(法華宗)の開祖。主著は『開目抄(かいもくしょう)』『立正安国論』『観心本尊抄』『守護国家論』。日蓮は天台宗の教えを踏襲しており、『法華経』を重んじ、特に、仏の教えは一つですベての人は仏となり得るという一乗思想と永遠の生命そのものである久遠実成の仏への帰依を強調している。日蓮は鎌倉仏教の他の宗祖と比べて、政治的社会的関心が強く、幕政に批判的であり、他宗へも排他的であったことから衝突がたえなかったが、日蓮の教えは、日蓮その人の不屈の精神と献身的な実践とがあいまって、しだいに民衆に広がっていった。

目次

日蓮の略年

1222 安房国で誕生。
1233 天台宗清澄寺へ入門する。
1238 出家。
1242 比叡山へ。
1253 関東に戻って法華題目を唱える(立教開宗)。このころ日蓮と名乗る。
1260 『立正安国論』
1261 伊豆へ流罪する。
1271 佐渡へ流罪する。
1274 身延山久遠寺開山。
1282 武蔵国で入滅。

日蓮の生涯

日蓮は、安房国長狭郡(千葉県鴨川市)に生まれる。自らを「海女の子」と称した。11歳の時、清澄寺に入り天台宗を学ぶ。16歳で出家、20歳ごろから比叡山など各地へ修行し、やがて法華経こそ末法の時代を救う最高の経典であると確信する。31歳の時、清澄寺に戻り、清澄山頂にて日の出に向かい「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、初説法を行った。以後、名を日蓮と改め、日蓮宗(法華宗)を開き、鎌倉を中心に布教活動を行った。38歳の時、『立正安国論』を北条時頼に進言したが、受け入れられず、その後、伊豆(静岡県伊東市)への流刑など数々の苦難の日々を送るが、その間も『法華経』の教えを説き続けた。伊豆から戻ってからも幕府や諸宗を批判し、蒙古国書をめぐって鎌倉竜ノ口(神奈川県藤沢市片瀬、竜口寺)にて処刑されかけるが、佐渡へ流される。この法難は奇跡伝承としても広まった。52歳の時に赦免され、その後、身延山久遠寺(山梨県)を開山し、唱題と説法に一生を送った。61歳で死去した。

『法華経』

『法華経』は大乗経典のひとつで、妙法蓮華経とも呼ばれる。真理は一つであるという一乗思想や、歴史的存在としての釈迦と永遠不変の仏の関係などが説かれている。日蓮は『法華経』重要視し、『法華経』の題目を唱えることを提唱した。

法華至上主義

天台宗の法華経信仰の影響を強く受け、法華至上主義の立場にあり、「四箇格言」に見られるように他宗にたいし攻撃的であった。『法華(妙法蓮華)経』は聖徳太子最澄らによっても重んじられ、その点では日本の仏教の本筋ではあったが、日蓮はこれを最高の経典と捉え、「南無妙法蓮華経」とひたすら題目を唱えること(唱題)により、個人の悟りである即身成仏も国家や社会の安泰である立正安国も実現するとした。

四箇格言

「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」(浄土宗は無間地獄へ落ちる、禅宗は悪魔の教え、真言宗は亡国の教え、律宗は国賊である)という日蓮の言葉で、当時、他宗を折伏するために唱えられた。みずからを最澄の精神を継ぐものと信じ、天台宗だけは非難していない。

善につけ、悪につけ、法華経を捨てることは地獄の業となるであろう。それゆえ、私は大願を立てる。もし「日本国の位を譲ろう、そのかわり法華経を捨てて観経(浄土教の経典)などに帰依して後生を送れ」とか、「念仏をとなえなければ、父母の首をはねるなどの大難がおこっても、知者に私の正義が論破されない限りは従わない。その他の大難は、風の前の塵である。われ日本の柱とならん、われ日本の眼目とならん、われ日本の大船とならん、などと誓った願いを破ることはできない。(『開目抄』)

「二乗作仏」と「久遠実成」

国土を安穏にし、人々を救う力があるのは、真実の仏法である『法華経』だけだと説く。中でも『法華経』にある「二乗作仏」と「久遠実成」の教義から、『法華経』がすべての人を救済する力を備えていると指摘している。

二乗作仏

二乗作仏とは、釈尊の説法を直接聞いて悟る声間と、師につかずに独りで悟る縁覚の、2種の人々が未来に仏になるという予言のこと。

久遠実成の仏

久遠実成の仏とは、永遠の昔に悟りを開き、教えを説きつづけている仏である。釈迦の悟った永遠の真理そのものを仏として人格的にとらえたものである。『法華経』の「如来寿量品」で、釈迦は真理(法)と一体になることで仏となったのであるから、釈迦が入滅しても真理(法)としての仏は永遠であると説かれる。永遠の真理としての仏は、永遠の昔から衆生救済の働きをつづけており、それが人格的な姿をとってあらわれたものが、歴史的存在としての釈迦である。

此に予、愚見をもて前四十余年と後八年との相違をかんがへみるに、其相違多しといえども、先世間の学者もゆるし、我が身にもさもやとうちをぼうる事は、二乗作仏、久遠実成なるべし。

他宗排擊

日蓮は『法華経』を絶対視する立場から、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と他宗を批判した。相手を論駁し、改宗させるという折伏を積極的に行ったが、そのために他宗と衝突することが多かった。

「我が説くところの経典のすでに説かれた経、今説いた経、これから説くであろう経の中で、法華経が最も第一である

法華経は已今当の三説を超えた妙法であるにもかかわらず、これに迷って法華経を誹謗する罪は、未来永劫に地獄の責め苦を受けなければならない

折伏

折伏とは、仏教における伝道教化の方法であり、相手の誤りを鋭く突いて、徹底的に批判し、正法を受け入れさせる方法である。

題目

題目とは、『法華経』に帰依することを意味する「南無妙法蓮華経」の7字のこと。日蓮は、この題目を唱えること(唱題)によって成仏できると説いた。

法華経の行者

『法華経』の教えによって修行を行い、その教義を広める人のこと。『法華経』には、この経をもつ者は迫害を受ける旨が記されており、日蓮自身が受けた数々の迫害・受難は、まさに経文どおりであったことから、自らを『法華経』の行者と自覚し、信心を深めていった。

『立正安国論』(1260)

日蓮は、『立正安国論』で法筆経に帰依しないと内乱や外的の侵略にあうとして、『法華経』による鎮護国家を説いた。

立正安国

立正安国とは、日蓮が説いた、法華経の正しい教えに帰依することによって、この世の安泰が得られるという教え。天変地異は、誤った教えを信じているためであり、それらを禁止しなければ、内乱や外国の侵略がおきると説いた。

侵略の予言

国家の安泰に向けた対策が不十分であることを指摘し、このことで流罪となるが、その5か月後に元寇(蒙古襲来)は日蓮の予言の現実化として人々は受け入れた。

『開目抄』

『開目抄』において蒙古からの国書の到来をめぐって幕府の政策を批判した。そのことで佐渡に流罪になった。死ととなりあわせの逆境の中で、みずからが法華経を布教する使命を担った行者であることの自覚と決意が、「われ日本の柱とならん、われ日本の眼目れとならん、われ日本の大船とならん」と力強く書かれている。

『観心本尊抄』(1273)

日蓮が佐渡流罪のきびしい状況の中で著した。 凡夫が題目をとなえることで仏の功徳を受けられるとし、題目の教えを示した。