成都|古代から続く蜀漢の都と茶文化の地

成都

成都は中国四川省の省都であり、成都平原の中心に位置する大都市である。古代の蜀(古蜀)文化に始まり、秦の入蜀、漢代の益州治所、三国期の蜀漢の都を経て、唐宋期の商業・文化都市として繁栄した。近世には明末清初の動乱を受けつつも再建され、近代以降は西南の政治・経済・交通・学術の要衝として発展を遂げた。温潤な気候と都江堰に代表される灌漑体系が都市の持続性を支え、茶・塩・絹・印刷・金融など多彩な都市機能を形成してきた点に特色がある。

地理と環境

成都は岷江水系が扇状に流れる成都平原の中央に位置し、周囲を山地に囲まれた盆地環境にある。戦国末から秦代に築かれた都江堰は岷江を分流・導水して洪水と渇水を調整し、広大な灌漑地帯を成立させた。温暖湿潤の気候は稲作・小麦・油菜の複合栽培に適し、豊かな農業余剰が都市の継続的発展を可能にした。

名称と都市形成

地名「成都」は「成して都と為す」の意に由来するとされ、秦が蜀を併合した後、県・郡治として整備が進んだ。街区は城郭を基礎に南北軸・東西軸を通し、後世に「少城」などの城郭体系が付加された。交易・手工業・官衙が階層的に配置され、城外には水利と結びつく市町や作坊が展開した。

古代から中世の歴史

先史の古蜀文化(三星堆・金沙遺跡に代表)に続き、紀元前316年に秦が入蜀し制度化が進む。前漢には益州刺史部の中心として発達し、蜀錦(錦織)や塩・鉄・漆器が著名であった。唐代には書籍流通と木版印刷が盛んとなり、西南交易やチベット世界との交流拠点としての性格を強めた。

三国時代と蜀漢

成都は劉備が入城して蜀漢の都城となり、諸葛亮の政治・軍事運営の舞台となった。益州の物資動員、屯田や水利整備、絹・塩の専売などが国家財政を支え、蜀漢の政権基盤を形成した。蜀の対外戦略は荊益と西方の地理的条件に規定され、都城としての都市機能と後背地の生産力が密接に結びついた。関連項目として、劉備曹操孫権赤壁の戦い後漢の滅亡、東南の都城建業建康が挙げられる。

唐宋の繁栄と文化

唐代の市坊制のもとで工商は発達し、宋代には民間商人の手形・預り金業務が制度化して、世界史上早期の紙幣「交子」が成都で発行された。印刷・書籍業、絹織・染色、塩の専売と運上、茶馬互市などが都市経済を牽引し、詩人杜甫が寓居した杜甫草堂、仏教の大慈寺、道教の青羊宮など宗教・文芸の景観が整った。

明清・近代の変容

明末には張献忠の進出などで四川は甚大な人口減少と荒廃を被ったが、清初の移民政策(湖広填四川)により再定住が進行した。省城としての官庁・学宮・書院が復興し、近代には鉄道・公路・電力網の整備が進む。抗日戦期には西南の重要後方基地として機能し、現代では西部開発・成渝地区双城経済圏の中核として高度サービスと先端製造の両輪で成長している。

経済・産業と都市機能

  • 高度化する製造:電子・半導体関連、航空宇宙、機械、自動車部品などの集積。
  • サービス・デジタル:金融、物流、ソフトウェア、ゲーム、クリエイティブ産業の拠点化。
  • 在来産業:米作・油菜、養豚、茶、唐辛子、醸造、四川料理関連サプライチェーン。
  • 学術・研究:四川大学など高等教育機関が集まり、西南の学術中心を担う。

宗教・文化・建築景観

成都には武侯祠(蜀漢関連の祠廟)、杜甫草堂(杜甫旧居跡)、大慈寺(仏教)、青羊宮(道教)などが並立し、歴史層の厚みを示す。錦江沿いには伝統街区の改修が進み、錦里や寛窄巷子などで手工芸・飲食・演芸が融合する。蜀錦・蜀繡、川劇の変面、茶館文化は都市の記憶を担う。

交通と都市計画

成都は双流国際空港と天府国際空港を擁し、成渝高速度鉄道や国幹線道路が内外交通を支える。都市内部では地下鉄網が放射環状に拡張し、歴史景観の保全とスマートシティ施策が並行する。中欧班列の結節として国際物流も強化され、西部の対外開放の前線となっている。

言語・社会と生活文化

都市住民の通用語は普通話であるが、日常では味わいのある四川方言が広く用いられる。明清期の移民史を反映して多様な出自が共存し、チベット族・羌族など周辺民族との交流も深い。花椒と辣の効いた四川料理、茶館での社交、囲碁・川劇などの娯楽が成都らしい都市文化を形づくる。