懐疑主義|哲学,倫理

懐疑主義 scepticism

懐疑主義とは、事物についての真理や事物の真の本性については知ることができず、すべての判断を保留しなければならない。古代ギリシアのピュロン(Pyrrhon)が最初に唱えたとされる。人間が知り得るのは知覚にあらわれたものだけで人によってそのあらわれ方も異なり、事物そのものについては何も知ることはできない。また、どんな原理も他のものによって証明されねばならず、それもまた他の原理によって証明されねばならないという循環におちいってしまう。従い、理論的説明を放棄し、何についても肯定も否定もせずに断定することをやめ、一切の判断の保留(エポケー)を行う。それにより、心の平安(アタラクシア)を保つべきであるとした。認識によっていろいろ考えることをやめ、そのことによって心を平らにやるべきだとした。ピュロンの思想は、弟子のティモン(Timon)によって伝えられた。このピュロンの懐疑主義はプラトンが創設したアカデミア学派やアイネシデモスの新ピュロニズムに引き継がれる。近代ではデカルトの方法的懐疑、モンテーニュ、イギリス経験論のバークリーヒュームらがいる。

懐疑する猫

懐疑する猫

目次

懐疑 skeptomai

懐疑の語源は、ギリシア語のskeptomaiという動詞に由来する。この動詞はホメロスによって「見る」という言葉で使われているのがみられる。ここから「注意深く見回す」という意味が派生し、「吟味する」、「考慮する」という意味で使われるようになる。われわれが使うような懐疑という意味で使われるようになったのは紀元前。

モンテーニュの懐疑主義

フランスのモラリストであるモンテーニュは、古代の懐疑主義を念頭に、「ク・セ・ジュ(私は何を知るか)」という命題のもと、人間は常に真理を探究中であるから、常に疑いを持ち、独断をさしひかえ、謙虚な態度でより深い真理を探究しつづけるべきだとした。