安藤昌益|忘れられた思想家,万人直耕,共産主義

安藤昌益

安藤昌益は江戸時代中期の思想家である。主著は『自然真営道』、『統道真伝』。昭和時代に入りカナダの外交官H・ノーマンの『忘れられた思想家』で紹介されてから知られるようになった。
困窮する農家を背景に、安藤昌益は当時の差別と偏見に満ちた社会の状態を批判し、理想的な社会(自然世)を犯落させたのは儒教や仏教、神道などだと指摘した。また武士については自ら耕さずに以民の生産物をむさぼる「不耕貪食の徒」として激しく批判した。幕藩体制そのものと支配権力の一切を否定し、農業を基本とする無政府主義的平等主義的な「万人直耕」の生産社会を説いた。彼の思想は現実への適応に欠けたが人間と社会の本質についての洞察力と批判力は他に類のない独創的なものであった。

目次

安藤昌益の略年

1703 出羽国の浬家の子として生まれる(1707年前後か)。
1718 このころ京都へ行き、禅修行を始める。その後、修行生活に疑問をもち、仏門を去って名医味岡三伯に入門する。
1744 八戸で医者を営む。
1745 八戸藩家老を診察し、御側医(おそばい)でも治せなかった病を治して有名になる。
1753 『自然真営道』を刊行する。
1758 このころ、故鄕の秋田に移住する。
1762 このころまでに死去。

安藤昌益の生涯

安藤昌益の生涯は詳細が不明であるが、出羽国久保田(秋田県)の次男として生まれ、安藤家は平安時代中期にこの地にはじめて移り住んだという古い家柄であると伝えられている。小さいころから書物に親しみ、15歳のころ京都へ行って僧侶となった。その後、修行を積んだがしだいに修行生活に疑問をもつに至り、医学の道に転身する。京都で医学を学び様々な医療現場を経験しながら医師としての力量を高めていった。その先進性の高い思想にもかかわらず、安藤昌益の存在は一般に知られておらず、注目もされることはなかった。
その主著『自然真営道』が発見されたのは、1899年、狩野亨吉搏士によってである。第二次世界大戦後にカナダの外交官ノーマンによる『忘れられた思想家』の公刊により、江戸時代の思想家のとして広まった。

百姓としての立場

同時代の思想家が多くは、貴族、武士や町人の思想であったのに対し、安藤昌益は、百姓の立場から独特の思想を展開したことに特徴がある。この時期、商品経済の発展といく一方で村の凶作の中で、百姓の生活は困窮をきわめ、百姓一揆が全国的に広がっていた。安藤昌益の住んだ東北地方では、百姓の困窮がとくに激しかった。こうした状況の中で、安藤昌益の反封建的で急進的な社会思想が育まれた。共産主義や社会主義の先駆けといえる。

法世

法世とは、万人直耕することのない差別と搾取の社会である。法はこしらえの意で、こしらえた世、すなわち人為的に作られた法律や制度の中で上下の身分が定められて差別が存在する社会のことである。安藤昌益は、当時の封建社会は、その典型であるとし否定した。自然世を法世の状態に堕落させたものが聖人であるとし、儒教・仏教・神道などの伝統的な教学を、安藤昌益は激しく批判した。

天と海とは一体であって上もなければ下もない。すべて互性であって両者の間に差別はない。
だから男女にして一人なのであり上もなければ下もない。
すべて互性であって両者の間に差別はない。
世界あまねく直耕の一行一情である。これが自然活真の人の世であって盗み、乱れ、迷い、、争いといった名目のない真のままの平安の世なのである。(『自然真営道』)

自然世

自然世は、安藤昌益が説いた理想の社会で、万人直耕の平等社会である。一切の作為をしりぞけ、大自然の根源的な生成の活動にのっとり、すべての人が直耕やしてみずから衣食住を自給する、差別のない平等な社会を理想とした。
この理想社会にするためには領主から諸侯、領民に至るまで自給自足する分だけを耕し、自然世に立ち返るべきことを強く主張した。このように自然世は農本主義に基づく、反封建的なユートピア社会である。

上の身分の者がいなければ、下の者を責めて奪いとるぜいたくな欲望もなくなり、下の身分の者がいなければ、上の者にへつらってとりいることもない。ゆえに恨み争うこともなく、乱軍の出ることもなく、上に立って天下を盗みとって上の者たちに盗みの根を植える者もなく、下にあって財貨を盗む者もなく……さりとる者もなければ、食られる者もなく、自然も社会も一体となり、自然の営みの中で社会全体で耕し、それ以外に何一つ人為的な行いはない。これが自然の世の有様である。(『自然真営道』)

土活真と自然活真

安藤昌益は、土活真と自然活真と呼ばれる独特の自然観を持っていた。土活真とは、「土」を万物の根源とする自然観であり、自然活真は、人間界も含め、「天と地」などの対立するとみえるものが、実は相互に関連しあい、一体となって活発に運動している自然観であるとした。

万人直耕

万人直耕とは、すべての人びとが間接農業に従事し自給自足の生活を営むことである。安藤昌益の理想とした自然世における、人間のあり方。農耕を天地自然の本道と考え、人間生活の営むとした昌益は、武士・商人・手工業者はみずから耕作せず百姓に寄食している不耕貪食の徒であると批判し、封建社会を否定した。

『自然真営道』

万人直耕の自然世を理想とし、封建社会・階級制度をきびしく批判する急進的な内容。刊本3巻は1753年京都で出版されているが、世の中に知られることはなかった。1899(明治32)年、狩野亨吉によって稿本101巻93冊が発見され、その特異な思想が注目されてからのことである。法世物語巻では、鳥たちが人間の不平等な世界をあわれみながら、自分たちの平等な世界を賛美するという形で、武士の支配する封建社会を批判している。

『統道真伝』

『自然真営道』の趣旨をまとめた内容で、儒教や仏教の誤りを指摘し、みずから生産せずに農民を搾取する武士を批判している。

『忘れられた思想家』

カナダの外交官のハーバード=ノーマンが、安藤昌益を広く国際的に紹介した著作で、1950(昭和25)年の刊行し、安藤昌益を封建社会に対する先駆的な批判者として紹介している。