夏
夏は、『史書』に記された、禹に始まる中国最古の王朝である。17代約450年つづき、暴君桀王のときに殷の湯王に滅ぼされたとされる。夏王朝は、のちの周代の文献に記されているのみで、その存在を示す確実な証拠は発見されていなかったが、二里頭遺跡の発見からそこが夏王朝でないかと推測されている。現在のところ、中国の確実な王朝としては殷王朝が最初である。
三皇・五帝
中国の伝統的な歴史観によると、太古の世に三皇・五帝と呼ばれる聖天子が現れ、いろいろな発明をして人々の生活を豊かにし、世の中を太平に治めたと言われている。
三皇
- 伏羲(ふくぎ)
- 神農(しんのう)
- 女(じょか)
- ※女(じょか)の代りに、に燧人(すいじん)・祝融(しゅくゆう)があげられる
五帝
- 黄帝 (こうてい)
- 顓頊(せんぎよく)
- 帝嚳ていこく
- 唐尭(とうぎよう)
- 虞舜(ぐしゆん)
- ※諸説あり
夏王朝と考古学
伝説によると、夏王朝の首都は彩陶文化(仰韶文化)や黒陶文化(龍山文化)の遺跡が多いことから、山西南部から河南省西部にいたる地方にあったといわれる。しかし、文字の発見がないため、不明な点が多い。
黄帝
黄帝は悪者を討ち平らげ黄河流域に初めて建国し、後世漢民族の祖先と尊ばれている。黄帝は帝位を人徳のすぐれた舜に譲った。
堯
堯は暦をつくり、治政に功のあった舜に位を譲った。のち儒家の孟子により理想化された。
舜
舜は堯から位を引き継いだ王である。舜は、広く人材を登用し、治水に功のあった禹に位を譲った。のちに堯とともに理想化された。
禅譲
堯は人徳のすぐれた舜に位を譲り、舜は治水に功のあった禹に位を譲ったことで知られる。有徳者に王位を譲ることを禅譲という。禹の没後は、子の啓が王位をついだので、ここに中国最古の王朝が開始されたとする。
夏王朝の系図
- 禹
- 益
- 啓
- 太康
- 中康
- 相
- 少康
- 豫
- 槐
- 芒
- 泄
- 不降
- 扃
- 厪
- 孔甲
- 皋
- 発
- 桀
滅亡
夏王朝は、末帝桀王のとき殷に滅ぼされたと考えられるが、夏王朝はのちの周代の文献に記されているのみで、その存在を示す確実な証拠は発見されていない。現在のところ、中国の確実な王朝としては殷王朝が最初である。