佐久間象山|吉田松陰の師,東洋道徳・西洋芸術

佐久間象山

佐久間象山は幕末に活躍した思想家・洋学者である。洋学に強い関心を持ち、西洋の伝統的精神に基づいて西洋の先進的な知識・技術を導入し、日本の近代化のために活動した。主著は『省諐録』(せいけんろく)。信州(長野県)松代藩の下級武士の子として生まれた。若くして学問に専念し、22歳の時に江戸に出て、朱子学者である佐藤一斎に師事し、その後、江川太郎左衛門から西洋砲術を学び、洋学・外国語にも強い関心をもった。その後、洋学の摂取につとめ、江戸藩邸の学問所頭取になった。1840年にアヘン戦争で清がイギリスに敗れたことに衝撃を受け、西洋科学技術を積極的に導入する必要性を訴える。
1854年、弟子の吉田松陰の密航事件に連座して投獄された。その後、許されたものの、京都で開国論・公武合体論を唱えたため、尊王攘夷派である河上彦斎に暗殺された。(佐久間象山の息子である格次郎は仇討ちのため、新選組に入っている。)
佐久間象山は当時、もっとも著名な学者・教育者の一人であり、吉田松陰だけでなく、勝海舟坂本龍馬も門人であった。

佐久間象山
佐久間象山

目次

佐久間象山の略年

1811 松代藩下級藩士として生まれる。
1833 佐藤一斎に入門し、朱子学を学ぶ。
1844 洋学と西洋砲術の研究を開始する。
1851 砲術・兵学の塾を開く。
1854 吉田松陰に密航をすすめた罪で下獄、後に謹慎。
1864 幕府の命で公武合体・開国論の立場で皇族・公卿に接触するが尊王攘夷派によって暗殺される。

時代的背景

平安前期は、支配者層の教養として漢文学と中国思想を重視する文章経国(もんじょうけいこく)が盛んであったことから、中国の学問知識を「漢才(からざえ)」と呼んで尊重していながらも、実生活上の知識や行動・人柄などを「やまとだましひ」といって日本固有の文化大切にした。幕末になると欧米の学問が入ってきて和魂漢才から和魂洋才に変化していく。海外の情報を持っていた層は、いち早く西洋の科学を取り組むことを目的とした。

「東洋道徳、西洋芸術」

佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸術」とのべ、和魂洋才のあり方を示した。東洋の伝統的精神のうえに西洋文化を知識・技術・科学として積極的に摂取し、国や国民を豊かにすることを説いた。

東洋道徳、西洋芸術、精粗遺さず、表裏兼該(けんがい)なし、因りてもって民物を沢をし、国恩に報ゆる
(『省録』)

君子の五楽

佐久間象山は、地位や財産に関係のない5つの楽しみがあるとした。
1.一族が礼儀を心得て不和がないこと。
2.心を清くして妻子・民衆に恥じないこと。
3.聖人の教えを学び大道を心得て正義の下、平常心を保つこと。
4.西洋人が発達させた自然科学から孔子・孟子も知らなかった理を知ること。
5.東洋道徳と西洋芸術をすべて詳しく研究して民衆の生活に役立てることであ
る。

佐久間象山像
佐久間象山像

西洋砲術と洋学の摂取

アヘン戦争(1840年)で清国が敗れた衝撃は、日本中に大きな衝撃を与えた。同時に西洋列強に対抗すべく日本の防衛力強化が緊急の課題となった。佐久間象山は、欧米列強との軍事力の差を冷静で的確に分析し、軍事力では圧倒的に欧米列強が優れており、日本や中国は大きく遅れている。追いつくためには、その技術(洋学)を学ぶことが先であるとし、過激化しつつある攘夷論を抑えようとした。

夷(い)の術を以て夷(い)を防ぐより外これ無し

まず学問を興す

『孫子』の兵法にある「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉を念頭におきながら、日本が西洋列強に比べて軍事には圧倒的に劣っていることを認め、それに追いつくには、まずは学問を興さなければならない、とし、さらに進んで、軍事的学術的基盤を数学(詳証術)ということを見抜いた。数学がすべての学問の基本であり、数学を発明したがゆえに西洋は、軍事力が大いに発展した。なにをやる前にもまずは数学が必要であるとした。

『省諐録』からの引用

彼を知らず、己を知らざれば、戦ふごとに必ず敗るるは、固よりなり。
しかれども、彼を知り、己を知るも、今の時にありては、いまだ戦を言ふべからず。
悉く彼の善くするところを善くして、しかも己の能くするところを喪はずして、しかる後に始めてもって戦を言ふべし。
彰証術は万学の基本なり。泰西(西洋)この術を発明し、兵略もまた大いに進み、夐然として往時と別なり。
いはゆる下学して上達するなり。
孫子の兵法の度・量・数・称・勝もまたまたその術なり。
しかれども漢と我とは、孫子ありて以来、誦習(しょうしゅう)して講説せざることなくして、その兵法は依然として旧のごとく、泰西と比肩するを得ず。これ他なし、下学の功なきに坐するなり。今真に武備を修飭(しゅうちょく)せんと欲せば、先づこの学科を興すにあらずんば、不可なり。

佐久間象山の墓
佐久間象山の墓

勝海舟の評

(佐久間)象山は知識人だが、ほら吹きで、政治は任せられない。(勝海舟

坂本龍馬の入門

1853年、坂本龍馬が黒船警備を担当したが、その同じ歳の12月に佐久間象山に入門し、砲術を学んだ。


Sidebar