ローマ帝国
ローマ帝国は、イタリアに住み着いたラテン人がティベル河畔に建設した都市国家が発展した国家である。伝説では前753年に建国されたとされるが定かではない。共和政をとっていたが、カエサルをきっかけに帝政をとっていくようになる。狭義におけるローマ帝国の定義は、初代カエサルに始まり、次のオクタウァヌスによって基盤となった皇帝による支配体制のローマのことである。(参考:共和政ローマ,共和政ローマ(2/2))
共和政ローマ
共和政ローマは、初期のローマの政治体制で、前509年、専制的なエトルリア人の王が追放されて以降、貴族による共和政を強いた。
三頭政治
三頭政治は、元老院に対抗するため、ポンペイウス・カエサル・クラッスス結んだ同盟関係である。政争の末、カエサルがローマの覇権を握り、初代の皇帝となるが、ブルータスによって暗殺された。
第二次三頭政治
カエサルの死後、カエサル派のアントニウス(前83頃-前30)は大衆に支持を集めていたカエサルを神格化し、暗殺したブルータスは追放された。アントニウスとレピドゥス、そしてカエサルの養子とされた19歳のオクタウィアヌス(前63~後14)の3者が国家再建の任を負い、第2回三頭政治と呼ばれる同盟関係を結んだ。
地中海全域の制圧
オクタウィアヌスは、アントニウスと協力関係にあるエジプト女王クレオパトラ7世(前69~前30)と戦争状態にはいるが、前31年、アクティウムの海戦でアントニウス・クレオパトラ連合を撃破、地中海全域を収めることになる。
パクス・ロマーナ
オクタウィアヌス以降、パクス・ロマーナと呼ばれるローマ帝国の最盛期を迎える。五賢帝と呼ばれるローマ帝国の優秀な皇帝が治め、ローマの平和は約200年に続いた。この時代には属州の地位もあがり、属州出身の皇帝トラヤヌスが現れ、また212年カラカラのときローマ市民権は全属州自由民に拡大され、属州民とイタリア人との政治上・法律上の差別がなくなり、等しくローマの公民であるという意識のもとに全地中海は統一的世界となった。
軍人皇帝時代
軍人皇帝時代(235~284)とは、マルクス=アウレリウス=アントニヌス以降の、ローマ帝国滅亡に向かう無力無能な政治の時代である。3世紀には各地の軍隊が皇帝を廃立するようになり、この間に約20人の皇帝が交替した。(参考:軍人皇帝時代)ローマ帝国はこのような混乱を極める中、東方ではササン朝ペルシアがローマ領に進出し、北方からはゲルマン民族が侵入するなど、騒乱が相次ぎ、帝国の支配は動揺した。
平民
ローマ帝国は末期にいくにともない、身分の格差が明確化されてくる。貴族や元老院は土地を買い取り、大規模農園を運営し、また属州の安い穀物がはいると、貧困層は増えていった。また、市民は平民と呼ばれ、被支配民に等しく、地位は低かった。
元老院
元老院議員は世襲となり、属州総督や将軍、名誉的な高級官職を担った。ガリア・ギリシア・アフリカなど属州出身の議員がしだいに増加した。
騎士階級
騎士階級は商人として、そして帝政期にめだってきた皇帝に直接仕える官僚として上級身分を構成した。各都市の富裕な人々も、都市の評議会員として特権身分とされた。
皇帝
共和政ローマとは異なり、帝政ローマは、皇帝に権力が集まり、平民、元老院、騎士階級の頂点となった。属州出身の皇帝も現れ世界帝国として、必ずしもローマやイタリア出身の支配ではなかった。
軍人皇帝時代の皇帝
セプティミウス=セヴェルス:アフリカ出身の軍人で経済統制をおこない、軍事力を強めて帝国をたてなおした
ヴァレリアヌス:226年に建国したササン朝ペルシアの侵略に対して捕虜とされた。
ディオクレティアヌス:オリエントに基づく専制支配を行う。
コンスタンティヌス:330年、黒海とエーゲ海を結ぶ海峡にあるビザンティオンを新しい首都と定めた。
ローマ帝国の崩壊
14世紀後半、ローマ帝国は激動に時代にさしかかる。巨大な帝国は外国からの侵略に対抗しきれず戦費が拡大していった。皇帝テオドシウスがその死を迎えるにあたって、アルカディウスとホノリウスにローマ帝国を分割して与え、東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれた。
- ササン朝ペルシアの侵入:皇帝ユリアヌスの戦死
- ゲルマン民族の大移動:378年のハドリアノポリスの戦いでヴァレンスの戦死
- 貧農の反乱:ガリア・スペインでバガウダエと呼ぶ貧農の反乱がおこる
- キリスト教の異端キルクムケリオーネスの騒乱:北アフリカ。
ローマ文化
ローマは地中海全域へと支配下をおいていく過程で、様々な文化がローマに流れ込んでいく。ローマ文化は多くの文化が交差するが、その中心は、古代ギリシア・ヘレニズム文化である。ローマ人は、ギリシア人と比べて独創的な文化と言いがたいが、ギリシア文化を受け継ぎ、後のヨーロッパ文化につながっていく。特に哲学・文学・自然科学・美術などはギリシア文化の影響が大きい。
ギリシア人はローマに武力で征服されたが、文化の上ではローマ人を征服した
哲学
ローマ帝国の哲学は実践的・現実的方向をとり、ローマ帝国が世界に拡大していく過程で、世界市民主義や個人主義に立脚したストア派の哲学が、上流社会の実践倫理として全盛を迎える。また、エジプト出身のプロティノスは神秘的な新プラトン主義の開祖となり、新プラトン主義は、中世ではキリスト教に影響を与えた。
- セネカ:暴君ネロの師であり、『幸福論』の著者
- マルクス=アウレリウス=アントニヌス:『自省録(瞑想録)』を著した
- ルクレティウス:エピクロス学派。哲学的叙事詩『万物の本性について』
- エピクテトス:『語録』の著者。ギリシア人奴隷
文学
ローマ帝国は、早期からギリシアの影響を受け、共和政末期からラテン語文学が起こった。初期は、キケロがあげられ、模範的なラテン散文作家といえる。主著は『友情論』。その他、カエサルの『ガリア戦記』もあげられる。
ローマ帝国の文学は、アウグストゥス時代に黄金時代を迎え、トロイアの英雄をローマ建国の祖とした物語『アエネイス』の著者ヴェルギリウス、『叙情詩集』のホラティウス、『メタモルフォーセズ』を著したオヴィディウスの三大詩人を排出した。
歴史学
歴史学では、アウグストゥス時代に、リヴィウスはローマ建国以来の発展を讃える『ローマ史』を書き、次いでタキトゥスは『ゲルマニア』や帝政初期を扱った『年代記』と『歴史』を書いた。またギリシア人プルタルコス(プルターク)は、ギリシアとローマの偉人を比較しながら『対比列伝(英雄伝)』を著した。これらの史書は、いずれも教訓的色彩が強い。
自然科学
自然科学は、ヘレニズム科学を集大成して保存した点に特色がある。地理学・天文学では、ストラボン『地理誌』、プリニウス『博物誌』、カエサルのユリウス暦、アレクサンドリアのプトレマイオスによる天動説が著名である。医学では、ギリシア人のガレノスが活躍した。
法学
ローマ帝国はその共和政や広範囲な地域の統治のため、法学が発展した。初期では、慣習法を成文化した十二表法に始まるローマの成文法が発達した。その後裁判官の判決例や法律家が与えた解釈などが法としての権威をもつにいたり、ローマ市民法として完成する。
また、ローマ帝国では、人種・宗教・風俗などの多種多様な諸民族を統治する必要があり、万民が正義と公正に基づく法律に置かれるべきであるとする万民法思想が発達した。2世紀に入るとストア哲学の影響もあり、現実の制度・慣習を超えた普遍的な自然法思想が生まれる。
美術と土木・建築
ローマ帝国の美術は、基本的にはギリシア・エトルリアの模倣であった。ただ、軍事大国の背景もあり、土木・建築では、著しい発達を見せ、煉瓦とセメントを使用してアーチ形式をとりいれた、当時新しい技術により、独特な発展を見せた。
- 凱旋門(315年のコンスタンティヌス凱旋門が有名)
- パンテオン神殿(万神殿)
- コロッセウム(円形闘技場)
- 大浴場(カラカラ帝の大浴場など)
- 軍用道路(アッピア街道)
- 水道
ローマの宗教
ローマの宗教は、初期では、古代ギリシアのオリンポスの神々とローマ伝来の神々とを混合したものが民族的信仰の対象となっていた。現世的色彩の強い多神教が信仰されている。しかし、帝政期になると、その宗教は変質していく。エジプトやペルシアなどの東方から流入した神秘的な密儀宗教、ストア学派やエピクロス学派の哲学、ユダヤ教やそこから生まれたキリスト教などが世界宗教として幅広く広まるようになる。