レヴィ=ストロース Claude Lévi-Strauss
レヴィ=ストロース(1908.11.28 – 2009.10.30)は、文化人類学者、哲学者である。主著は『親族の基本構造』『構造人類学』『悲しき熱帯』『野生の思考』『神話論』。もともと哲学や言語学を学んでいたが、アマゾン行きを決めたのをきっかけに文化人類学に転向した。フィードワークを通す中で、言語学の構造主義に似た考えを、アマゾンの民族の近親婚のタブーのなかに見、構造主義を発見することになる。
レヴィストロースの略年
1908 12月、生誕。(1か月ほどでフランスのヴェルサイユに帰る)
1932 高校の哲学教師となる。
1935 高校教師を辞任し、研究者としてブラジルに渡る。
1947 『親族の基本構造』完成。
1955 『悲しき熱帯』刊行。
1962 『野生の思考』刊行。
1977 10月、日本にて講演を行う。
1983 『はるかなる視線』刊行。
1996 『サンパウロへのサウダージ(郷愁)』(サンパウロの情景を集めた写真集)をブラジルで刊行する。
レヴィストロースの生涯
レヴィストロースは、ユダヤ系フランス人として両親の滞在先であるベルギーで生まれ、フランスのヴェルサイユで育った。パリ大学で哲学・法学を学び、サルトルらと同じようにアグレガシオン(大学教授資格試験)に合格した。若くしてマルクス主義に影響され、社会運動に傾倒した。民族学・人類学に関心を持ち、1935年にサンパウロ大学の社会学教授としてブラジルに渡り、アマゾン川流域の先住民の調査を行った。この時の研究が、後の『悲しき熱帯』の執筆へとつながった1939年に第二次世界大戦勃発で兵役についたが、ナチスの侵攻により、1941年にアメリカに亡命した。帰国後、アマゾンの先住民の調査をもとに、『親族の基本構造』を出版し、婚姻制度を女性の交換を通した部族のコミュニケーションであると説くa href=”/構造主義”>構造主義的な考察が、大きな反響を呼んだ。なお、『親族の基本構造』で博士号をとっている。フランスに戻って、1959年にコレージユ=ド=フランス社会人類学講座の初代教授となり、北アメリカの先住民の神話の構造分析などについて講義した。その後ブームを引きおこす『野生の思考』を刊行、『神話論理』4巻を刊行、その構造分析は構造主義ブームを引きおこし、人文諸科学の方法論に大きな影響を与えた。
レヴィストロース構造主義の源流
レヴィストロースは文化人類学の研究によりa href=”/構造主義”>構造主義を発見したが、そこにはもともと哲学研究者であることで、大きな着想を得た。言語学者のロマン・ヤコブソンの研究を文化人類学に応用しようとしたが、そこには数学が必要であり、ブルバキ派から学んだ数学を必要とした。ここで初めてa href=”/構造主義”>構造主義が生まれることとなる。
西洋中心主義批判
レヴィ=ストロースは文明社会と未開社会との価値的優劣を否定し、文化相対主義の立場から西欧文明を絶対視する西洋中心主義を批判し、西欧中心の文化観・歴史観を批判した。彼の思想はその後の文化人類学や倫理学に大きな影響を与えた。
野生の思考
野生の思考とは、西洋文明の影響を受けていない社会での、神話的な思考洋式を示す。レヴィ=ストロースによれば、野生の思考を有する民族も、西洋文明の思考と同じように論理的であるが、西洋の思考が力・質料・数字などの概念を使う抽象的思考であるのに対して、野生の思考は動物・植物・昆虫など経験的な対象を使う具体的思考をその特徴に持つ。野生の思考は、感覚的な対象を使いながらも、きわめて厳密な論理を持ち、世界をくわしく分類し、秩序づけ、体系化している。自然を支配しようとする西洋の思考に対し、自然に対する畏敬の念を持ち、すべての生物・自然に敬意をはらう傾向にある。
文明の思考
レヴィ=ストロースは、野生の思考に対し、啓蒙思想に基づいた、西洋の抽象化された科学的思考を文明の思考、栽培の思考と呼んだ。
野生の思考と文明の思考の融合
レヴィストロースは野生の思考と文明の思考を極端にかけはなれたものとは見なしていない。自然に対する見方の違いであり、野生の思考は具体的である一方、文明の思考は抽象的である、との違いでしかない。この二つは合流してひとつになるものであったが、不幸にも時間と空間において関わることはなかっただけである。なお、レヴィ=ストロースは、科学的思考を技師の計画的作業にたとえ、野生の思考を、器用人(ブリコルール)によるブリコラージュ(器用仕事)にたとえる。
野生の思考で取り扱いうる特性は、もちろん科学者の研究対象とする特性と同じではない。自然界は、この二つの見方によって、一方で最高度に具体的、他方で最高度に抽象的という両極端からのアプローチをもつのである。言いかえれば、感覚的特性の角度と形式的特性の角度である。しかしながらこの二つの道は、少くとも理論的には、そしてパースペクティヴに突然の変動が起らなければ、当然合流して一つになるべきものであった。これによって理解できるようになるのは、この二つの道がどちらも、時間および空間の中において相互に無関係に、まったく別々であるがどちらも正方向の、二つの知を作り出したことである。一方は感覚性の理論を基礎とし、農業、牧畜、製陶、織布、食物の保存と調理法などの文明の諸技術を今もわれわれの基本的欲求に与えている知であり、新石器時代を開花期とする。そして他方は、一挙に知解性の面に位置して現代科学の淵源となった知である。〈レヴィ=ストロース/大橋保夫訳『野生の思考』みすず書房)
近親婚の禁忌と構造主義
レヴィ=ストロースは、ソシュールの言語分析にヒントを得て、西洋文明に関わりを持たなかった人びとの風習や神話の諸要素を関係づける〝構造〟を分析した。インセスト・タブ(近親婚の禁忌)は、親族の内輪の結婚を禁止することで、外部の集団の女性との結婚を義務づけ、集団がたがいに女性を交換しあうコミュニケーションを可能にする規則だとし、インセスト・タブ(近親婚の禁忌)構造によって作られたルールであるとした。
トーテム
トーテムとは、部族や氏族などの集団と、呪術的・宗教的関係によって結ばれた特定の動物や植物をいう。このような制度をトーテミズムと呼ぶが、トーテムを思考の媒体(メディア)として、自分たちの集団を他の集団と区別し関係づける象徴的な分類体系であると説いた。レヴィストロースによれば、トーテムとして選ばれた動植物は、その集団と近縁また関係にあるとされ、互いに保護しあい、食べてはいけないなどのタブー(禁忌)がある。その起源としては、動物崇拝、集団の守護神、祖先崇拝などがあげられるが、レヴィ=ストロースは、トーテム動植物はその差異や共通性によって、それと並行して部族の集団の差異や統合を象徴的にあらわすと説明している。
サルトル批判
『野生の思考』の最終章でレヴィ=ストロースは、サルトル批判を行い、その議論が反響を呼んだ一因でもあった。批判の内容は、西洋中心的な思考の象徴として、サルトルを取り合い、サルトルの思想が西洋近代の人間像だけをモデルにして理論展開しているとのことである。サルトルは、実存主義において歴史は人間によって全面的に創造されるものであり、幾多の困難や矛盾を乗り越えつつ歴史は進歩していくはずだという西洋独特の考え方を持っていた。レヴィストロースはここに人間の多様性へを欠いた自己中心的な側面を見いだす。
『親族の基本構造』
『親族の基本構造』(1949年)は、イトコ婚の制度を例に、近親婚のタブーが親族集団間の互闘的な女性の交換を促す視点を提示し、構造人類学の最初の成果となった。
『悲しき熱帯』
『悲しき熱帯』(1955年)、ブラジルのアマゾン川流域の先住民の実地調査を記録した。
草と花とキノコと昆虫の一社会が、そこである独立の生活を自由に営んでおり、その生活に仲間入りを許されるかどうかは、我われの忍耐と謙虚さにかかっているのである。何十メートルか森に入って行くだけで、外の世界を捨て去るには十分であり、一つの世界がもう一つの世界に席を譲る。
そこでは、視覚はあまり楽しまないにせよ、聴覚と臭覚という、視覚よりさらに魂に近い感覚がそのところを得るのである。すでに消滅してしまったと思われていたさまざまな富一静寂、さわやかさ、平穏がよみがえる。『悲しき熱帯』
『野生の思考』
『野生の思考』(1962年)は、文字を持たない未開社会の神話的思考は、文明社会の科学的思考より低次のものではなく、世界を分類し、秩序づける厳密な論理性をそなえていると説く。西洋の科学文明を中心に考える現代人を痛烈に批判した。