マルクス|哲学と思想,貧困に向き合う共産主義運動

マルクス

マルクスは、ドイツの社会思想家、経済学者、哲学者。主著は主著『経済学・哲学草稿』『ドイツ=イデオロギー」『共産党宣言」『経済学批判』資本論』。親友エンゲルスと共に科学的社会主義を創始し、哲学や経済学においても画期的な業績を残して、後世に大きな影響をおよぼした。
経済思想においては、労働者が富を生産すればするほど、労働者が生産活動の質とその範囲が拡大すればするほど、総資産は拡大するので、相対的に、それだけますます貧しくなることを指摘した。労働者が商品をつくればつくるほど、皮肉にも、彼はその分だけ安い商品として労働力を提供することになる。〝物世界の価値〟が増殖するのに正比例して、〝人間世界の価値〟は落ちてくる。労働は一人商品を生産するのみにはとどまらない、というものであった。このマルクスの思想は、貧困に苦しむ民衆に対して、理論的に貧困の原因を説明し、貧困からの脱出のため、共産主義運動に尽力した。マルクスは数百万人の人生に影響を及ぼし、近代社会の多くの局面、歴史や社会学、経済学、哲学、そして芸術にさえ、大きな衝撃を与えた。

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目次

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マルクスの略年

1818 ドイツ(プロイセン)トリールで出生する。
1835 ボン大学入学、法学を学ぶ。
1842 パリに移住、『ライン新聞』編集主幹。
1848 イェーニと結婚。『共産党宣言』を出版する。
1849 ロンドンに亡命する。
1859 『経済学批判』を出版する。
1864 第1インターナショナルを結成。
1867 『資本論』第1巻を出版する。(マルクスの死後、エンゲルスの編集によって第2巻、第3巻が発表される。)
1883 肝臓ガンのためロンドンで死去。

マルクスの生涯

マルクスは、ライン州トリールの町で、ユダヤ人の弁護士を父として生まれた。裕福な家庭で、進歩的な家庭の雰囲気であった。ボン大学とベルリン大学で法学を学んだが、歴史学や哲学にも熱中し、とくにヘーゲルから大きな影響を受けた。イエナ大学から学位を授与されたが、当時の大学の保守反動的風潮を嫌い、『ライン新聞』の編集長になった。
ジャーリストとして抑圧・貧困に悩み苦しむ農民や労働者の姿に接して、しだいに当時のドイツの社会的現実に対して批判を強めていった。その結果、プロシア政府に目をつけられ、新聞は発禁、マルクスはドイツを追われることになった。学生時代から婚約していたイェーニとの結婚後、パリへ移住し、『独仏年誌』編集で知り合ったエンゲルスと共著で『共産党宣言』(1848)を執筆・発表した。政治的には不評を買う結果となり、ロンドンに亡命し、家族を住まわせた。
ロンドンでは定職につくことができずに貧困の生活に苦しむ事になる。家賃を払えず住居を追われ、子ども達が病気になったとしても医者に見せることができない、というものだった。貧困の末、彼の子どもは幼くして亡くすが、葬式でさえ満足なものではなかった。その苦境の中で、妻イェニーの献身、そして親友エンゲルスの心や物にわたる援助によって彼らに励まされながら、マルクスは、経済学を中心とする研究に打ち込むとともに、国際的な労働運動・革命運動の指導にも尽力した。その結果、1864年、社会主義運動の指導者としてエンゲルスとともに国際労働者協会(第1インターナショナル)を創設されるという成果を勝ち取り、万国の労働者の団結を呼びかけた。また、1867年には『資本論』第1巻を完成させることができた。『資本論』の続巻を準備したが、完成するまでに亡くなってしまい、エンゲルスがマルクスの残した原稿から『資本論』の2部と3部を発表した。その他、1871年にはパリ=コミューンを支援するなど、精力的な活動をつづけたが、1883年、愛する妻の後を追うように、その生を終えた。

マルクス主義

マルクスの研究は実践的なものであって理論的研究も、単に世界を解釈するためではなく、世界を変革するための指針を導き出すためのものであった。マルクスは、ヘーゲルから学んだ弁証法とイギリス古典派経済学の理論、フォイエルバッハから学んだ唯物論を総合して、マルクス主義と呼ばれる科学的な社会主義の理論体系を構築した。彼は生産力と生産関係との矛盾により生産様式は変化発展し、経済が土台となって政治・文化・哲学が構築されるという唯物史観を唱え、資本主義は必然的に崩壊し、プロレタリア階級による社会主義社会、さらには共産主義社会が成立するとした。

労働者が富を生産すればするほど、彼の生産活動の力強さと範囲が拡大すればするほど、彼はそれだけますます貧しくなる。労働者が商品をつくればつくるほど、彼はそれだけますます安い商品になる。物件世界の価値が増殖するのに正比例して、人間世界の価値の剥奪が進行する。労働は一人商品を生産するのみにはとどまらない。それはそれ自体、つまり労働者をも一つの商品として、しかもそれが一般に商品を生産するこの同じ関係の中で、一つの商品として生産するのである。(『経済学・哲学草稿』)

マルクス
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唯物史観

『経済学批判』の「序言」で、「人間の意識がその存在を規定するのではなく、人間の社会的存在がその意識を規定する」と記している通り、人間の意識はそれ自体独立して規定されているものではなく、人間の物質的な活動を土台としてそれを反映する社会的・政治的な意識形勢が形勢されるとした。人間は物質的な生産力を経済的構造を基礎に、それにふさわしい人々の営み形成される。こうして形成された法律・政治・宗教・芸術・哲学などの精神的な上部構造により、人間の意識形態が規定される。

疎外

疎外とは、人間性の喪失や自己らしさの喪失のことである。マルクスの思想の中心をなす概念である。「疎外」とは、「別のものになること」、「はじき出されること」である。過酷な労働によって、人間が本来もっているもの(人間性および人間らしさ)が、人間から離れて疎遠なものとなり、人間に自己喪失感をもたらすことをいう。資本主義において、労働者は、人々にやさしさや生きがい、理想の喪失が行われた。疎外を招く労働は、もはや自分自身のものではなく他人の物であり、他人に帰属しているがゆえであると、痛烈に批判した。

さて、労働の外化(疎外)とはどんな形を取るのか。第一に、労働が労働者にとって外的なもの、かれの本質とは別のものという形をとる。となると、かれは労働のなかで自分を肯定するのではなく否定し、心地よく感じるのではなく不幸せに感じ、肉体的・精神的工ネルギーをのびのびと外に開くのではなく、肉体をすりへらし、精神を荒廃させる。だから、労働者は労働の外で初めて自分を取りもどし、労働のなかでは自分を亡くしている。

労働が労働者にとって外的なものだということは、労働がかれ自身のものではなく他人のものであり、他人に属すること、労働のなかでかれが自分ではなく他人に帰属していることのうちに見てとれる。(マルクス/長谷川宏訳『経済学・哲学草稿』光文社古典新訳文庫)

労働者階級(プロレタリアート)と資本家階級(ブルジョワジー)

資本主義的生産様式においては、労働者階級(プロレタリアート)と資本家階級(ブルジョワジー)という二つの階級が生み出される。資本家階級(ブルジョワジー)は、資本を見返りとして労働者階級(プロレタリアート)に労働を要求する。労働者階級(プロレタリアート)は資本家階級(ブルジョワジー)に自己の労働力を売って、その対価を賃金として得て、生活物資を購入する。
商品として労働者は労働力が資本家の所有のもとにおかれるため、資本家は資本ならびに利潤増大のために、労働者に劣悪な労働条件のもとで長時間労働を強いる。労働者は激務のなかで健康を害され、精神を荒廃させる結果となる。こうしたことが労働の疎外というが、この問題を解決するに、労働階級(プロレタリアート)は、資本家階級(ブルジョワジー)に対して革命を起こし、労働者が生産手段と労働力を自己の所有のもとに取り戻す以外にはないとした。

唯物史観

唯物史観とは、資本主義的生産様式の没落による社会主義(共産主義的生産様式)成立の歴史的必然性を提示したマルクスの理論である。資本主義的生産様式における物質的諸関係とは、資本家と労働者の生産関係のことである。資本家は利潤獲得のために労働者に不払労働を課し、資本の増殖に努める。そのために生産力は絶えず発展するが、それが歴史的には労働の質的強化、長時間労働、人間疎外等を生み出す。こうした生産力と生産関係の矛盾が原因となって、労働者階級が資本家階級を打倒して生産手段の社会的所有をはかる社会主義(共産制)への変革(社会主義革命)が実現されると考えた。

階級闘争

マルクス主義における階級は、単なる社会階層とは異なり、客観的な基礎をもつ概念である。生産手段の所有によって規定され、生産手段を所有している支配階級と、生産手段から排除されている被支配階級がそれである。支配階級は常に被支配階級を搾取することによって富を独占し続けてきた。それゆえに、この両階級の利害は根本的に対立し、過去の歴史はこの両者の階級闘争の歴史でもある。時代ごとによって大まかに、下記のような階級闘争を重ねてきた、とする。

  • 奴隷制:支配階級は主人、被支配階級は奴隷
  • 封建制度:支配階級は封建領主、被支配階級は小作人
  • 資本主義体制:支配階級は資本家、被支配階級は労働者
マルクス
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科学的社会主義

マルクス・エンゲルスは自分たちが提唱する社会主義を「科学的社会主義」と呼び、初期社会主義を「空想的社会主義」と呼んで厳しく批判した。その理由は労働者階級(プロレタリアート)が資本家階級(ブルジョワジー)の搾取により疎外に陥る原因の科学的分析の欠如にあった。マルクス・エンゲルスによれば、物質的生産関係(下部構造)が政治・文化(上部構造)を規定するのであって、生産力の向上は資本家による労働者の搾取を強化するので、労働者は革命により資本主義を打倒し、社会主義が実現されると考えた。

共産主義

マルクスによれば階級闘争の末、資本主義社会をこえ、生産手段の共有と生産化により、階級も搾取もない、理想社会である、共産主義の社会が実現されるとした。共産主義社会では、「能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」原則が実現される。それへの過渡的な段階として社会主義があり、そこでは、「能力に応じて働き、労働に応じて分配される」原則が採用される。しかし、現実には、共産主義や社会主義を採用した多くの国では発展が阻害される傾向があった。

『ドイツ・イデオロギー』

『ドイツ・イデオロギー』とは、マルクスとエンゲルスの共同執筆になる遺稿で、1845~46年に執筆され、二人の死後に公刊された。イデオロギーは、マルクス主義では観念形態をさし、物質的な生産様式を土台とし、そのような経済的な下部構造を反映した、政治・宗教・芸術などの上部構造の意識形態をさす。天上から地上にくだる観念論的なドイツ哲学を批判し、地上から天上にのぼる、つまり物質的生産を行う人間の現実的活動から、そのイデオロギー的な反映としての精神形態が考察され、さらに物質的な生産力と生産関係の矛盾から歴史が発展していくという、唯物史観が説かれる。

『経済学批判』

マルクスの唯物史観が展開される著作で、第一分冊は1859年に刊行された。その「序言」に、マルクスの唯物史観が要約されている。

『経済学・哲学草稿』

マルクスの青年時代に書かれた草稿。「ライン新聞」の主筆を辞任してパリに移った1844年頃に書かれた。労働の主体としての人間のあり方を追究し、資本主義社会において生産手段が労働者から切り離されていることが労働の疎外の原因であるという「疎外された労働」の考察が、未完成な素材の中に生き生きと展開されている。

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