ネルンストの式
ネルンストの式は、電極電位が溶液中の化学種の濃度(厳密には活量)と温度によってどう変わるかを表す関係式である。1889年、ドイツの物理化学者ヴァルター・ネルンストが提唱した。電池の起電力の計算をはじめ、pH測定、酸素濃度の計測、金属の腐食評価など、電気化学に関わる幅広い分野で基礎となる式として使われている。
1889年の提唱と熱力学的な背景
ネルンストはゲッティンゲン大学在籍中に、イオンの濃度差から電位差が生じる仕組みを熱力学的に説明しようとした。当時はアレニウスの電離説が発表された直後で、溶液中のイオンの振る舞いが盛んに研究されていた時期にあたる。彼は浸透圧の考え方を電極反応に当てはめ、濃淡電池の起電力を定量的に導き出した。のちに熱力学第三法則の研究で1920年のノーベル化学賞を受賞するが、電気化学分野ではこの式の名前の方がよく知られている。現在の教科書では、反応のギブズエネルギー変化 ΔG = −nFE から導くのが一般的である。
式の形と各記号の意味
還元反応 Ox + ne− → Red について、ネルンストの式は次のように書ける。
E = E° − (RT / nF) ln (aRed / aOx)
- E:その条件での電極電位(V)
- E°:標準電極電位(全活量が1のときの値)
- R:気体定数、8.314 J/(mol·K)
- T:絶対温度(K)
- n:反応に関わる電子の数
- F:ファラデー定数、96485 C/mol
- aOx、aRed:酸化体と還元体の活量
電位の基準には標準水素電極(SHE)を0 Vとして用いる。
25℃での簡略形
25℃(298.15 K)で自然対数を常用対数に直すと、係数2.303RT/Fは約0.05916 Vになる。そのため実用上は E = E° − (0.0592 / n) log10(aRed / aOx) の形がよく使われる。1電子反応なら、活量比が10倍変わるごとに電位が約59 mVずれる計算である。
ダニエル電池で見る計算の例
ダニエル電池では、銅の標準電極電位+0.337 Vと亜鉛の−0.763 Vの差から、標準状態での起電力は1.100 Vになる。ここで硫酸銅水溶液の濃度を下げると、正極側の電位が下がり起電力も小さくなる。反応はCu2+ + Zn → Cu + Zn2+で、n = 2。Cu2+とZn2+の濃度比が1:10なら、起電力は1.100 − 0.0296 × 1 ≒ 1.070 Vとなる。わずか30 mV程度の変化にとどまる点は、対数の式であることをよく表している。
濃度ではなく活量を使う理由
理想的な希薄溶液では活量と濃度はほぼ等しい。しかし、イオン強度が大きい溶液ではイオン同士が引き合い、実際に働く「有効濃度」は見かけの濃度より小さくなる。この差を表すのが活量係数で、0.1 mol/L程度でも1から大きく外れることがある。めっき液や電解液のような高濃度の液に教科書どおり濃度を代入すると、計算値と実測値が数十mVずれることも珍しくない。現場の液管理では、計算値をそのまま信じず、実測した電位と分析値の対応表を自社で持っておく方が確実である。
工業計測での使われ方
この式が最も身近に生きているのは計測機器である。pHメーターのガラス電極は水素イオン活量に応じた電位を示し、25℃で1 pHあたり約59.16 mVの傾き(スロープ)を持つ。比較電極には飽和KCl中の銀・塩化銀電極(SHEに対して約+0.197 V)が広く使われる。
| 計測対象 | センサー | 電子数 n | 代表的な使用温度 |
|---|---|---|---|
| pH | ガラス電極 | 1 | 0〜80℃程度 |
| 酸素分圧 | ジルコニア固体電解質 | 4 | 600〜800℃程度 |
| 特定イオン(F−、Cl−など) | イオン選択性電極 | 1または2 | 常温付近 |
| 酸化還元電位(ORP) | 白金電極 | 反応による | 常温付近 |
ジルコニア式の酸素センサーでは、基準ガスと測定ガスの酸素分圧比から E = (RT / 4F) ln(pO2,ref / pO2) で起電力が決まる。800℃では分圧が1桁変わるごとに約53 mV変化する。自動車の排ガス制御に加え、熱処理炉の浸炭雰囲気でカーボンポテンシャルを管理する用途でも欠かせない。
温度補正の実務
式にTが入っているため、スロープは温度とともに変わる。0℃では約54.2 mV/pH、50℃では約64.1 mV/pHになる。50〜60℃で運用するニッケルめっき浴などを測る場合、温度補償なしの計器では読み値がずれやすい。JIS Z 8802(pH測定方法)ではフタル酸塩(pH 4.01)、中性りん酸塩(pH 6.86)、ほう酸塩(pH 9.18)などの標準液が定められており、校正はこれらを使って行う。校正後のスロープが理論値の95%を下回るようなら、電極の劣化を疑って交換を検討するのが現場での目安とされる。
腐食とめっきの現場での見方
金属が溶け出すかどうかは、その金属のイオン濃度と溶液の電位の関係で決まる。プールベが1960年代にまとめた電位-pH図(プールベ図)は、ネルンストの式を各反応に当てはめて境界線を引いたものである。設計者はこの図から、ある環境で鉄が不働態になるか、活性溶解するかの見当をつける。電気めっきでも、析出電位はイオン濃度で変わるため、合金めっきでは2種類の金属の電位を近づけるために錯化剤を加えて活量を調整する。
式が当てはまらない場面
ただし、この式が示すのはあくまで平衡状態での電位である。電流が流れている電極では過電圧が加わり、実際の電位は平衡値から離れる。電解槽や充放電中のリチウムイオン電池の端子電圧を、この式だけで説明することはできない。反応が遅い系や、複数の反応が同時に進む混成電位の状態でも、測った電位を一つの反応に結び付けるのは難しい。こうした非平衡の挙動を扱うには、バトラー・ボルマーの式など電極反応速度論の考え方が必要になる。
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