アイザック・ニュートン|万有引力,微積分法,光のスペクトル分析

アイザック・ニュートン Sir Isaac Newton 1643-1727

アイザック・ニュートンは、イギリスの数学者・物理学者、古典力学を確立した。主著『プリンキピア』。1642年、12月25日、イギリスのリンカンシャーでニュートンが生まれる。ケンブリッジ大学でガリレオ・ガリレイケプラーデカルトらの数学や物理を学び、26歳で教授となった。また、王立学士院の会員にもなった。35年間の学究生活を送った後、ケンブリッジからロンドンに移し、造幣局の監事を務める。その3年後、造幣局長官となり政府高官として行政組織に務めることになる。ニュートンは、二つの物体の中心のあいだに働く引力は距離の二乗に逆比例するという万有引力の法則を発見した。天体の惑星の運動も地上の物体の運動もすべて共通の原因である万有引力の法則に従っており、一切の自然現象の根底に働く引力の発見によってニュートンは古典力学(ニュートン力学)を確立した。万有引力・微積分法・光のスペクトル分析は、ニュートンの三大発見とされる。

ニュートン
ニュートン

機械論的自然観

ニュートンにとって、学問は、観測できる物事の因果関係を明らかにすることが目的とした。「自然界の事物の原因として、事実でありそれらの諸現象を説明するために十分であるより多くのものを認めないこと」と語ったように、古代ギリシア以来のアリストテレスに基づく目的論的自然観や聖書に基づく自然観と距離を取る。「我、仮説を立てず」とし、この自然を因果関係のみで説明する立場を機械論的自然観という。

微積分法の発見

1665年、ケンブリッジのトリニティ・カレッジは、大流行したペストのために閉鎖される。その際、故郷のウールスソープに一時戻っていたが、結局ペストが沈静化するまで1年半の時間を有した。その間に微積分法の着想を得て、1669年、「項数が無限の方程式による解析について」、1671年、「流率法と無限級数」と題する論文を発表し、微積分法の基礎を確立する。しかし、仲間内で閲覧されて終わったため、後にドイツのライプニッツと先取権をめぐり裁判を行うことになった。

光と色の新理論

1672年、王立協会の機関紙『哲学会報』で「光と色の新理論」を発表する。「光は屈折性の異なる斜線からなり、各斜線がそれぞれの色をもっている」とし、これまで一般的であったアリストテレスの「光の変容説」(色は光と闇の混ざり具合で決まる)を否定した。その後も研究を続け、1704年の『光学』にまとめられた。

ニュートン
ニュートン

『プリンキピア』ニュートン

1687年、ニュートンの『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』がロンドン王立教会から刊行された。運動の3つの基本法則と重力(万有引力)の法則をうちだて、りんごの落下から惑星の公転までを統一して理論的に記述した。ニュートンは自然現象を運動現象に絞り、数学的な方法によって解明可能であることを明示した。ケプラーが経験的に導き出した惑星運動の法則も数学的に証明される。後に、微積文法が発展していくに従い、汎用性の高い理論として洗練化されていく。なお、これまで天動説では天上界と地上界は異なる運動法則で動いているとされたが、『プリンキピア』の発表により理論的に否定されることになった。

魔術師ニュートン

ニュートンは35年間、学究生活を送ったが、その際、大量の手稿を箱にしまいこんだ。1936年にそれらを手に入れた経済学者ケインズはその内容のほとんどが錬金術の書物であったことに驚いた。

「数学と天文学とは、ニュートンの仕事のほんの一部であり、もっとも興味を引いたものではなかった」(『人間ニュートン』ケインズ)

「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなく、最後の魔術師である。」(『人間ニュートン』ケインズ)


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