デリダ Jacques Derrida
デリダ(1930.7.15 – 2004.10.8)は、フランスの思想家、哲学者である。アルチュセール、バタイユ、ブランショ、ラカンなどの影響を受け、ポスト構造主義者と称される。脱構築を唱え、西洋伝統の考え方や二項対立を乗り越えようとした。1980年代以降、政治や法の問題を扱い、政治的活動を盛んになった。(ポスト構造主義)
デリダの生涯
デリダは、1930年、フランスの植民地であったアルジェリアで生まれる。ユダヤ人の家庭であった。1949年に文学者カミュに影響を受けてフランスに渡り、パリのエコール・ノルマル・スペリュール(高等師範学校)の在学中に『フッサール哲学における発生の問題』を書いた。1965年から同行で教鞭にたつが、その後、ソルボンヌや、米国の諸大学でも定期的に教えた。
ポスト構造主義
デリダの思想は、ポスト構造主義やポストモダン思想の代名詞と説明される。構造主義は、それぞれの主体が、各位自由にものを考え、行動しているつもりでも、主体の主体性は、その主体を生み出した見えない構造によって無意識の次元で規定されているという原則がある。しかし、この発想には、その見えない構造を探し求める思考自体もまた、別の次元の構造(メタ構造)によって規定されているという問題あり、またこの問題は無限循環に陥る。ここに構造主義の限界が認められる。はこの問題を乗り越える問題意識をもっている。
脱構築(ディコンストラクション)
脱構築(ディコンストラクション)とは、西欧の哲学が構築されている基礎をいったんくずし、新しい哲学を模索しようとする試みである。西欧の伝統とは、ロゴス中心主義のことであり、ここでは、著者の思考をテクスト、つまりエクリチュール(書かれたもの、作品)に見いだす伝統的な思考が行われていた。脱構築では、著者の思考でも読者の読解でもない、テクストの中に著者の思考言葉(ロゴス)を解体する契機が潜んでいることを公にさらすことによって、思想を、テクストにおいて再構築しようとした。
プラトンを脱構築する。
デリダは、プラトンがソクラテスの思想を言葉(ロゴス)によって伝えようと意図して書いた対話篇を読解することによって、ソクラテスの言葉自体にソクラテスの思想、言葉(ロゴス)が解体する契機が潜んでいることを発見した。このことは『プラトンのパルマケイアー』で論じられている。
『プラトンのパルマケイアー』
デリダは、論文『プラトンのパルマケイアー』において、「良薬」と「害毒」の両義性を帯びたギリシャ語「バルマコン」が、ソクラテスの言葉(ロゴス)を覆し、ロゴスによる思想伝達を不可能にする契機となっていることを指摘した。ソクラテスが国家の認める神々を認めない、青年に「害毒」を流しているという告発理由を不正として拒絶した。さらにポリスの国法に従って「毒杯(害毒)」を飲んで刑死するという事実は、ソクラテスが意図した「良薬」による思想伝達が否定すべき「害毒(毒杯)」によって拒絶されるというメタファー(隠喩)を意味することであり、ロゴスに「差異」が生じたということである。この出来事はロゴスfによるソクラテスの思想伝達は断絶し、エレアからの客人(プラトン)による思想伝達が始まることの予告であるかもしれない。思考する主体は著者でもなければ読者でもなく、著者の思考の外部から侵入した意図せざるテクストのロゴスであることを、デリダは脱構築によって示した。
二項対立
西洋哲学は、善と悪、真と偽、主観と客観、オリジナルとコピー、西洋と東洋、内部と外部のように二項対立で語られ、前者が優位だと考えられてきた。そこに根拠はなく、この二項対立を脱構築で乗り越えようとした。
西洋人の特性
デリダは二項対立における根拠なき優位性に関して、西洋人の特性をあげる。また以下の特性の延長線上に、「ドイツ人/ユダヤ人」という二項対立が存在し、悲劇が生まれた、と解釈した。
- 論理的な者をなによりも優先する思考
- 男性的なものやヨーロッパ優位だとする思考
- 世界は目的をもって進むとする思考
- 書き言葉より話し言葉を優先する思考
音声中心主義批判
西洋では文字(書き言葉)は、声(話し言葉)を代理するためのコピーだと考えられ、声は文字より価値が高いと考えられてきた。これもまたまったく無根拠であると退けた。また文字と声はまったく違う伝達方法で、動的な声と静的な文字の間で違い(差延)が生じる、とし、文字を声のコピーではなく、それぞれ独立して扱う必要があるとした。
哲学批判
デリダは批評活動において従来の哲学への批評が高い評価を受け、その手段を模倣する者が集まった。
- 『声と現象』(1967年):現象学批判が評価され、デリダの名前は広まることになった。
- 『グラマトロジーについて』(1967年):ソシュールやレヴィ=ストロースを音声中心主義として批判した。
- 論文「コギトと狂気の歴史」:フーコーを批判する