ルネ・デカルト|我思う、ゆえに我あり

ルネ・デカルト René Descartes 1596年3月31日 – 1650年2月11日

ルネ・デカルト(1596年~1650年)『方法序説』、『哲学の原理』、『省察』。スコラ哲学に見られるような抽象的な思弁を批判し、直観に与えられる明晰判明な観念を真理の基準として合理論を打ち立てた。デカルト特有の方法的懐疑に基づき、すべてを疑うことで疑いたくても疑いえないことを真理であるとした。それは、わたしはいるのか?と疑っている私自身であり、「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」という言葉で端的に表される。もともとは数学をはじめとした自然学を学んでいたが、人文学があまりに不完全な知識とみなしたゆえに、方法的懐疑によって、直感的な明晰判明さを真理の基準にし、そこからさまざまな真理を合理的に導いていくデカルト哲学は、理性的思考に基づく近代的な哲学の確立に大きく貢献した。ルネ・デカルトの著作

デカルト

デカルトの生涯

法官貴族の家に生まれ、ラ=フレーシュ学院で学んだが、スコラ的な学問に満足できず、「世間という大きな本」から学ぶ決意をしてヨーロッパ各地に旅に出た。オランダで軍隊に志願したが実際の交戦はなかったようである。従軍しながら数学を研究した。ドイツのウルムで宿営中、11月のある日、暖炉部屋で眠っていたときに夢を見て、学問全体の革新を行うというインスピレーションを得た。1629年にオランダのアムステルダムに移り住み、思想的に自由な雰囲気の中で20年間哲学の研究に没頭した。49年にスウェーデン女王に招かれてストックホルムに行ったが、翌年に肺炎のために53歳で死去した。

略年

1596年 フランスのラ・エにて生誕。父親は高等法院につとめる法律家の下級貴族の出身。
1606年 ラ・フレーシュ学院に入学。
1614年 ラ・フレーシュ学院卒業後、ポワティエ大学で法学と医学を学ぶ。
1619年 「世間という大きな書物」を学ぶためたびに出、ドイツ・バイエルン軍に入隊。休暇中に新しい学問についての掲示を得る。
1637年 『方法序説』
1641年 『省察』
1644年 『哲学原理』
1649年 『情念論』
1650年 肺炎を患い死去

真理とは何か。四つの規則

デカルトはまず真理とはなには考え、①真理とはなにか。②人間の認識とはなにか。③人間の認識の限界はどこか。これら3点について追求する態度から始める。デカルトによれば、物の世界は精神の世界の中に含まれており、諸科学は、この精神の世界の中に、含まれているものを認識することによって成立する。この認識の統一や知識のために、物を一定の秩序にもたらし、これを知性によってのみ把握され得るようにしてくれる方法、その中に認識があるとした。そのための態度として、四つの規則に基づくことを重要視する。①明晰かつ判然たる知識のみを受け入れること②困難で不可解なものはこれを些細に分析解剖すること③易から難に、簡から複に進むこと④研究の対象は、これを細部漏らさずに網羅することで得られる。

我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)

デカルトの真理の標準は「明晰判明」であった。出発点の土台を〝疑いぬくこと〟におき、疑いきれなかったものを最も確実であり、真理であるとする。(方法的懐疑)考えられるものすべてを懐疑し、疑いえるものは真実かどうかは別として一度排除して最後に残ったものを真理とし、そこから演繹的に議論を展開する。たとえば、感覚は錯覚がある、数学・幾何学は計算間違いや思い違いがある、すべての思想(スコラ哲学)は夢かもしれない、現実世界や身体は悪霊による欺きの可能性がある。これらは真実だとは思うが、疑える以上、一度は排除を行う。その中で残ったものは、疑っている主体つまり、『私』である。私がいるかと疑うことはできるが、この「疑う」ということは、自分の心の存在のみは疑えない。疑っている以上、この疑うという自分の心は存在している。「我思うゆえに我あり」とは、意識の直接なる事実であり、我の我たる所以は、ただ「思う」ことということにある。

『方法序説』デカルト

私がこのようにすべては偽であると考えている間も、そう考えている私は必然的に何ものかでなければならぬ、と。そして、「我思う、ゆえに我あり」というこの真理は懐疑論者のどのような法外な想定によってもゆり動かし得ぬほど、確実なものであることを、私は認めたから、私はこの真理を私の求めていた哲学の第一原則として、もはや安心して受け入れることができる、と判断した。

神の問題

自我の存在は、疑うことによって自証された。疑うということはそもそも自分の知識が怪しいということである。(もし完全ならば、疑う必要はない。)では、不完全だという認識はどこから来ているのか?それは完全との比較である。完全なる神があればこそ、それと比較し、自己の不完全を知ることができるのである。我々は神の観念をもっている。然るに、神の観念の原因は、我々自身であるということができない。神の観念は完全なるものであるがゆえ、不完全なる人間を原因にすることができない。したがって、神の観念は、神自身を原因としなければならない。そこで、我々の有する神の存在そのものも必然でなければならない。つまり、神を思うという自己意識から神ありという結論が引き出されたのである。デカルトによれば、明晰なるものは確実であり、真理である。その類に属する、因果律もまた、真理であるといえる。ところで、因果律というのは、あるものが、あるものから生ずるということである。そこで、不完全は、完全の中の何かが欠けているということである。すなわち、完全より大ではない。したがって、不完全は完全から生ずることができるが、この逆はありえないのである。然るに、神は完全であり、人間は不完全である。この神の証明は後にカントショーペンハウアーがこの証明を論理的真理と現実的真理は別のものだとして批判されている。

外界の存在と実体の問題

神は完全である。したがって、誠実をはじめとする諸徳が備わっていなければならない。誠実とは、人を欺かない赤心の徳であり、まず、神は我々を欺くことはない。すると、神がわれわれに与えられてくれたものは、神の誠実性から推して我々の知識は、常に真実である。外界が我々の見ている通りに存在することは、神の真実によって証明される。しかし、われわれは誤信することがしばしばである。では、この誤信はどこからくるのか。①感官の迷妄 外界の存在は真実であるとしても感官が判然性を隠すことがある。②判断の誤り 判断は、デカルトによれば、理性に意思の作用が加わって成り立つものである。意思の誤用や越権行為が加味されることによって、誤信は生じる。

実体の問題 

デカルト哲学における実体とは存在するために何ら他のものを必要とせず、独立して存在するものをいう。自我の存在も神の存在も外界の存在も、確実自明のことであり、この三者を実体と名づけた。神は他に頼らず独立して存在するが、自我も外界も神に依存して存在する。そのため神は神は一段と高い実態であるとして、これを「無限的実体」と名づけ、自我と外界(精神と物体)は一段と低い実体として、これを有限的実体と名づけた。なお自我と外界は相互に独立している、と考え、これは心身二元論につながる。

属性

実体をそれの持つ特殊の性質を通じて知るが、このよな実体の持つ精神を属性と名づけた。属性とは物体の本質を表す性質である。たとえば、自我(精神)は、「思う」を、外界(物体)は「広がり」がその属性である。「思う」と「広がり」とは、他のものを借りずに考えられるゆえに、精神と物体とはそれぞれの属性とわかる。なお、属性に対して、様態がある。様態は、属性の現われ、もしくは偶然的性質である。たとえば、物体の位置、形状、運動は様態であり、これは「広がり」という属性があっては初めて考えられる。

心身二元論

属性は相互に関係、依存することなく、精神の属性と物体の属性は互いに共通点を持たない。それゆえに精神も物体も各自独立している。ここから現代の、心と身体が分かれているという心身二元論という現代の我々の常識的な考え方が確立される。

機械論

物体の本質「広がり」は、あらゆる物体に見られる属性であるが、われわれはそこから、精神的なものを見出すことは出来ない。しかし、私達は現実に多様なものの存在を知っている。 デカルトは、この差の根本を運動だという。運動によって、物体の差別変化が存在する。

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