クシャーナ朝|西北インドを征服したカニシカ王の王朝

クシャーナ朝(貴霜)

1~3世紀大月氏の支配下にあったイラン系クシャーナ族が自立して西トルキスタンから西北インドに建てた王朝(クシャーナ族については、月氏の一族とする説やバクトリア地方の土着民族とする説がある)。2世紀のカニシカ王時代に全盛期を迎えたが、3世紀にササン朝の攻撃を受けて衰退した。

西北インドの征服

かつて大月氏がバクトリア地方などにおいた5諸侯のひとつであったが、1世紀後半に出現したクジューラ=カドフィセース(カドフィセース1世)・ウィマ=カドフィセース(カドフィセース2世)の時代に台頭し、他の諸侯を征服した。その後南下をはじめ、最後には、西北インドを征服した。

カニシカ

2世紀半ばにでた、カニシカ(位130頃~155頃、別説78頃~103頃)の時代に最盛期を迎える。領土は広域で、南はガンジス川の中流域、北は中央アジアで後漢と接していた。カニシカアショーカとならぶ仏教の保護者としても知られ、王の治世に第4回の仏典結集がおこなわれた。

カニシカの貨幣

カニシカは仏教を大切にしていたが、貨幣にはギリシアローマの諸神やゾロアスター教・ヒンドゥー教の諸神の像が使われていた。ここに、カニシカは宗教的に寛大で、諸民族・諸文化の混在する大帝国をたくみに統治したことが知られる。

プルシャプラ

プルシャプラは、クシャーナ朝の都で、現在のパキスタン北部のペシャーワルである。漢とローマを結ぶ交通路の中央を抑えて経済的にも栄えた。

クシャーナ朝の崩壊

クシャーナ朝は3世紀にササン朝ペルシアに圧迫されて衰え、キダーラ朝のとき、一時復興したものの、5世紀末頃、エフタル民族のために滅ぼされた。