墨家|戦国時代で非戦を説いた学者集団,諸子百家

墨家

墨家は、墨子を祖とする戦国時代の諸子百家の一派である。兼愛、非攻、尚賢、非楽、節用、節葬などを説いた。儒家の形式的な礼楽主義や貴族の世襲制を批判したため、手工業者や農民などの庶民の階層に支持され、戦国時代には儒家と対抗する二大勢力とまでなる。秦の統一によって戦国時代が終わるとともに衰え、漢の時代に儒教が国教とされると、儒家の批判者であった墨家は衰退していく。

墨子

墨子は、前480頃~前390頃、春秋時代末期から、戦国時代初めの思想家である。墨家の者で、魯の出身で、宋に仕えたという。彼とその弟子の思想を伝えるのが、『黒子』である。

  • 兼愛:(儒家のような)自他の区別をしない無差別の愛
  • 非攻:侵略戦争をしない
  • 尚賢:有能な者を任用する
  • 非楽:雅楽を廃止する
  • 節用:浪費をしない
  • 節葬:葬礼を廃止する

兼愛

兼愛は、墨子の倫理説である。墨家は、孔子の仁に基づく肉親を重んじる儒教を差別愛だと批判し、自分や他人の別なく無差別で平等に人を愛すべしとした。

非攻

非攻は、兼愛・交利・勤険節約から出される、墨子の戦争否定論である。戦争は人の命を奪う行為で、また略奪・盗賊的行為を行う。戦争を行った国家は、大切な人材を失うだけでなく、蓄積された財貨をも破壊し、いずれ自国を滅ぼすとして反戦論を説いた。

交利

交利は利によって道徳が成立するととき、交易を通じて実質的に相互の利益を実現することで兼愛を成し遂げようとした。

尚賢

墨家は、尚賢を説き、縁故や身分、財産で人材を登用するべきでなく、出自にとらわれず賢者を任用せよ、と説いた。戦乱が繰り返される実力・能力主義の時代で、有能な人材が幅広く活躍することを求めた。

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